大人の見る繪本_生れてはみたけれど
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本作は1930年代にサラリーマン階級の日常や庶民感情を描いて流行した小市民映画の代表作であり、サイレント期に小津の評価を決定づけた作品でもある[1]

撮影は1931年(昭和6年)11月に開始されたが、撮影中に子役の菅原秀雄が怪我をしたため一時撮影を中止し、その間に新人俳優の城多二郎を売り出す正月映画『春は御婦人から』の撮影にかかっている。しかし、それが城田の病気で中断すると、また本作の撮影を行っている[2]

撮影に出てくる電車の路線は池上線であり、電車が通るころあいを見計らってカメラを回したという[3]

本作のフィルムは、松竹所有のオリジナル版と、後年マツダ映画社によって松田春翠による活弁と音楽が挿入された「マツダフィルムライブラリー」版が現存する。
ランキング

1959年:「日本映画60年を代表する最高作品ベストテン」(キネマ旬報発表)第3位

1979年:「日本映画史上ベスト・テン」(キネマ旬報発表)第17位

1989年:「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文藝春秋発表)第31位(サイレント映画としてトップ)

1995年:「日本映画 オールタイムベストテン」(キネマ旬報発表)第52位

2009年:「オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇」(キネマ旬報発表)第59位[4]

脚注[脚注の使い方]^ 生れてはみたけれど、日本大百科全書コトバンク、2015年3月27日閲覧
^ 貴田庄『小津安二郎のまなざし』、晶文社、1999年、p.43
^ 厚田雄春・蓮實重彦『小津安二郎物語』、筑摩書房、1989年、p.181
^ 「オールタイム・ベスト 映画遺産200」全ランキング公開、キネマ旬報映画データベース、2015年3月27日閲覧

外部リンク

大人の見る絵本 生れてはみたけれど - 日本映画データベース

大人の見る繪本 生れてはみたけれど - allcinema

大人の見る繪本 生れてはみたけれど - オールムービー(英語)

大人の見る繪本 生れてはみたけれど - IMDb(英語)










小津安二郎 監督作品
1920年代

懺悔の刃(1927年)

若人の夢(1928年)

女房紛失(1928年)

カボチヤ(1928年)

引越し夫婦(1928年)

肉体美(1928年)

宝の山(1929年)

学生ロマンス 若き日(1929年)

和製喧嘩友達(1929年)

大学は出たけれど(1929年)

会社員生活(1929年)

突貫小僧(1929年)

1930年代

結婚学入門(1930年)

朗かに歩め(1930年)

落第はしたけれど(1930年)

その夜の妻(1930年)

エロ神の怨霊(1930年)

足に触った幸運(1930年)

お嬢さん(1930年)

淑女と髯(1931年)

美人哀愁(1931年)

東京の合唱(1931年)

春は御婦人から(1932年)

大人の見る繪本 生れてはみたけれど(1932年)

青春の夢いまいづこ(1932年)

また逢ふ日まで(1932年)

東京の女(1933年)

非常線の女(1933年)

出来ごころ(1933年)

母を恋はずや(1934年)

浮草物語(1934年)

箱入娘(1935年)

東京の宿(1935年)

大学よいとこ(1936年)


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