大久保_(新宿区)
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2001年に大久保のニューカマー韓国人を中心に在日本韓国人連合会(韓人会)が結成された後、韓国・朝鮮系商店主と地元日本人の商店会である新大久保商店街振興組合・新宿マンモス通り商栄会等との間で会合がもたれるようになり新宿の北隣という立地を生かし、横浜神戸長崎などの中華街に倣って観光地として整備し地域活性化を図ろうという案も出ている。
地価

住宅地の地価は、2023年令和5年)1月1日公示地価によれば、大久保1-14-7の地点で64万1000円/m2となっている[19]
歴史東京都新宿区大久保の航空写真(2009年4月27日撮影)

旧:豊多摩郡大久保町の内。
地名の由来

「大久保」の地名の由来は、かつてはこの地にが流れて相対的に周りより大きな低地(窪地)であったことから、大久保と呼ばれた。江戸時代までは農村であった。明治時代にはツツジの景勝地として知られ、近郊から多くの人が訪れたという[20]
沿革

1889年明治22年)5月1日 - 市制町村制施行により、南豊島郡大久保百人町・東大久保村・西大久保村が合併し大久保村が発足。

1896年明治29年)4月1日 - 豊多摩郡に変更。

1912年大正元年)12月1日 - 町制施行により、豊多摩郡大久保町となる。

1932年昭和7年)10月1日 - 東京市に編入され、東京市淀橋区大久保となる。

1947年(昭和22年)3月15日 - 淀橋区が四谷区牛込区と合併し、新宿区が発足する。

1952年(昭和27年)3月25日 - 西武鉄道高田馬場駅 - 西武新宿駅間が開業。大久保に西武新宿線も通ることになったがの開設はなかった。(ただし、「西武大久保駅」を開設する予定はあった。)

1963年(昭和38年)9月 - 早稲田大学大久保キャンパス(理工学部)開設(現在の西早稲田キャンパス

住居表示実施前後の地名の対応

実施後実施年月日実施前(注意書きのないものはその一部)
大久保一丁目
1978年昭和53年)7月1日西大久保二丁目
大久保二丁目西大久保三丁目(全部)、西大久保四丁目
大久保三丁目西大久保四丁目、百人町四丁目

世帯数と人口

2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
大久保一丁目3,012世帯3,857人
大久保二丁目5,374世帯7,627人
大久保三丁目2,508世帯4,818人
計10,894世帯16,302人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移年人口
1995年(平成7年)[21]14,437
2000年(平成12年)[22]14,820
2005年(平成17年)[23]15,288
2010年(平成22年)[24]15,311
2015年(平成27年)[25]16,925
2020年(令和2年)[26]15,997

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移年世帯数
1995年(平成7年)[21]7,187
2000年(平成12年)[22]8,064
2005年(平成17年)[23]8,519
2010年(平成22年)[24]8,755
2015年(平成27年)[25]10,928


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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