住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、大久保1-14-7の地点で64万1000円/m2となっている[19]。
歴史東京都新宿区大久保の航空写真(2009年4月27日撮影)
旧:豊多摩郡大久保町の内。 「大久保」の地名の由来は、かつてはこの地に川が流れて相対的に周りより大きな低地(窪地)であったことから、大久保と呼ばれた。江戸時代までは農村であった。明治時代にはツツジの景勝地として知られ、近郊から多くの人が訪れたという[20]。 実施後実施年月日実施前(注意書きのないものはその一部) 2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 丁目世帯数人口 国勢調査による人口の推移。 人口推移年人口 国勢調査による世帯数の推移。 世帯数推移年世帯数
地名の由来
沿革
1889年(明治22年)5月1日 - 市制・町村制施行により、南豊島郡大久保百人町・東大久保村・西大久保村が合併し大久保村が発足。
1896年(明治29年)4月1日 - 豊多摩郡に変更。
1912年(大正元年)12月1日 - 町制施行により、豊多摩郡大久保町となる。
1932年(昭和7年)10月1日 - 東京市に編入され、東京市淀橋区大久保となる。
1947年(昭和22年)3月15日 - 淀橋区が四谷区・牛込区と合併し、新宿区が発足する。
1952年(昭和27年)3月25日 - 西武鉄道高田馬場駅 - 西武新宿駅間が開業。大久保に西武新宿線も通ることになったが駅の開設はなかった。(ただし、「西武大久保駅」を開設する予定はあった。)
1963年(昭和38年)9月 - 早稲田大学大久保キャンパス(理工学部)開設(現在の西早稲田キャンパス)
住居表示実施前後の地名の対応
大久保一丁目1978年(昭和53年)7月1日西大久保二丁目
大久保二丁目西大久保三丁目(全部)、西大久保四丁目
大久保三丁目西大久保四丁目、百人町四丁目
世帯数と人口
大久保一丁目3,012世帯3,857人
大久保二丁目5,374世帯7,627人
大久保三丁目2,508世帯4,818人
計10,894世帯16,302人
人口の変遷
1995年(平成7年)[21]14,437
2000年(平成12年)[22]14,820
2005年(平成17年)[23]15,288
2010年(平成22年)[24]15,311
2015年(平成27年)[25]16,925
2020年(令和2年)[26]15,997
世帯数の変遷
1995年(平成7年)[21]7,187
2000年(平成12年)[22]8,064
2005年(平成17年)[23]8,519
2010年(平成22年)[24]8,755
2015年(平成27年)[25]10,928
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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