多摩川
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着任早々の有吉忠一神奈川県知事は要望を受け入れ、工事は1916年2月から、上平間天神台から上丸子までの一帯で開始されたが、対岸の東京府側で反対運動が起こり、内務省の中止命令を受けた[38]。有吉知事はこの命令を無視し工事を続行、東京府との対立は妥協され、翌月10月に堤塘が完成した[38]。この強行工事で有吉知事は河川法違反と内務省の命令違反でけん責処分を受けたが、住民は知事の尽力を称えて新堤塘を「有吉堤」と名付けた[38]。現在のガス橋からバス通り沿いに、その名残が残されている[38]

1918年から内務省直轄の本格的な多摩川下流改修工事が始まる。途中、関東大震災により堤防に亀裂や陥没が入るなどの被害が出たが、遅延を含め15年の歳月をかけて1934年に竣工、河口から二子橋までが改修された[38]

その後、日野橋までの間の改修が進められて大規模な氾濫は少なくなるが、1974年には狛江水害が発生して大きく報道されテレビドラマ化(『岸辺のアルバム』)もされ、二ヶ領宿河原堰の北岸には「多摩川決壊の碑」が建てられている[39]

1990年からは、さらなる対策として、河口から日野橋までの区間をスーパー堤防(高規格堤防)とする整備事業が進められている。その後も集中豪雨台風などにより河川敷が湛水して残された人が救助される光景を度々見ることがある。

2019年には令和元年東日本台風(台風19号)により増水し、堤防の決壊こそ起きなかったものの、流域の広範囲の地域が狛江水害以来45年ぶりとなる規模で浸水の被害を受けた。要因として世田谷区玉川に堤防未整備の区間が約540mあった[40]ほか、想定を超える雨量による本流の水位上昇で支流からの排水ができなくなる「背水」(バックウォーター)が起きた可能性が指摘されている[41][42]
生態系

[43][44]調布堰を遡るアユ(2004年4月)

多摩川では古くから内水面漁業が営まれており、多摩川の鮎は名産として江戸幕府にも上納されていた。1843年には御留川に指定され、鮎は将軍家専用で、献上する鮎は沿岸の農民が負担した[45]。明治以降禁制が解かれると、二子や登戸が鮎の名所となった[45]。二子の船宿「亀屋」は1875年から12回にわたって皇族の御休憩所になり、大正天皇昭和天皇皇太子時代に鮎漁に来た[45]

この鮎やマルタウグイなどは、中流域では掴み取りできるほど多かったとも伝えられている。多摩川の水底には砂利が多くコケが生育し、また伏流水が湧き上がる場所や浅瀬が点在していて産卵適地も多い。そのため左記の魚の生育に適した地形であると考えられている。

魚類のほか、その魚類を捕食する鳥類も多く生活していたとの記録がある。明治以前の文献には、多摩川流域にもトキコウノトリツル類ガンカモオオハクチョウなどが訪れていたとも記録されている。これらは河川のほか水田などを生活基盤としているものだが、他の地域がそうであったのと同様、狩猟や水田の減少などにより生活を維持できなくなっていったものと考えられる。

また昭和35年頃まではコアジサシの営巣地が中流域に 44ヶ所あったとの記録がある(多摩川の野鳥 p.123)が、後に壊滅する。ところが 2003年頃から再び繁殖に挑戦する番いが現れ始めた。コアジサシは水中に飛び込んで小魚類を捕らえる狩りの方法が特徴だが、その彼等を支えられるだけの魚類の生息ができるようになったことを示唆している。

中下流部では、かつてはオシドリキジコハクチョウなども多く訪れていたが、今ではめっきり見られなくなった(キジについては旧多摩村の御鷹場があった昭和20年代に多数生息していたとの記録があり、一時期は人工繁殖により増加したとの記録もあるが、近年の特に中下流部ではあまり観察されなくなった)。反面、都市部の環境にも適応したカルガモメジロシジュウカラハクセキレイなどが近年増加傾向にあり、カワセミも安定して観察される。また冬鳥ではユリカモメオナガガモなども増加傾向にある。流域の宅地化に伴い、庭木や公園樹木などの都市環境にも適応した種は逞しく生活し、逆に警戒心の強く森で採食するキジや、水田などの沼地を好むオシドリなどが姿を消したものと考えられる。また多摩川に限らずハクチョウ類の越冬地は北上傾向にあり、これには地球温暖化などの影響が指摘されている。

一方、かつてカモ類が見られることは希であったと言われるが(多摩川の野鳥 p.125)、昭和44年には鳥獣保護区に指定され(秋川合流点など一部は特別保護地区)、その保護施策が奏功し、以降カモ類は増加傾向にある。

過去の文献はいずれも、かつて多摩川は多様な生物が生息する豊かな環境であり、さらに江戸時代初期からは周囲に水田が展開することにより形成された里山的環境に適合する生物が多く生息するようになり、その状況が昭和初期まで続いていたことを示唆している。

しかし、高度成長期に入ると流域の都市化が急速に進み、流域人口が急激に増加するも、それに見合った汚水処理等の対策が為されないまま排水が垂れ流されたこと、また周辺地域の水田や森林が都市へと変貌したことなどを受け、生息できる生物が激減、一時はほぼ壊滅するという危機的状況にまで陥った。汚染が著しく進んだ1980年代以降になると流域の都市部で下水道整備が進められるようになり、左岸東京都下流部では1990年代、中流部では1980年代、右岸川崎市北部では1990年代、源流部の丹波山小菅村では1990年代に、ほぼ整備が完了した。これを受けて排水の流入が抑制され、水質が回復することによっ鮎などの魚類が戻りつつあり、また鳥獣保護区指定や水源林保全などの施策により鳥類の生息も回復しつつある。
魚類・水棲小動物

[46][47]

一部地域では漁業が営まれており、ヤマメニジマスフナウグイイワナなどが水揚げされているため、これらの魚種が相応に生息しているものと考えられている。また近年になると魚道が設けられるといった施策がされ、それに伴って激減していた鮎の遡上数が急増した。この他、ドジョウなどの魚類、モクズガニサワガニテナガエビなどの甲殻類、他にも様々な小動物の生息が観察される。鮎については、餌とする在来藻類の生長を妨げる外来藻類ミズワタクチビルケイソウの発生が確認されている[48]

最近は観賞魚の放流などで外来種の種類・数がともに増加傾向にある。こうした状況を、南米アマゾン川になぞらえて「タマゾン川」と呼ぶこともある[49]

川崎河川漁業協同組合と環境保全NPOや環境教育団体であるいきものふれあい教室により、多摩区菅にある稲田公園さかなの家に「おさかなポスト」が設置されており、川崎河川漁業協同組合総代の山崎充哲が管理している[50]。こうした取り組みは、外来魚などの放流防止に役立っていたが、「さかなの家」「おさかなポスト」は2019年3月末を以て、川崎市と川崎河川漁業協同組合が存続を拒否したため廃止予定。

「おさかなポスト」の活動(魚やカメの受け入れや里親捜し)は、おさかなポストの会飼育管理事務所で存続する。
奥多摩湖
オオクチバスコクチバスブルーギルニジマスイワナハスワカサギオイカワウグイコイギンブナゲンゴロウブナヤマメヌマチチブサクラマス
上流域
イワナヤマメニジマスウグイタカハヤアブラハヤカジカホトケドジョウギバチアカザ


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