トビ、チョウゲンボウ、ハヤブサ、ハシボソガラス、ヤマセミ、キセキレイ、ホオジロ、カワウ、コサギ、ゴイサギ、アオサギ、カルガモ、ハシブトガラス、カイツブリ、オナガ、バン、キジバト、ヒヨドリ、コチドリ、イカルチドリ、シロチドリ、イソシギ、カワセミ、ムクドリ、コゲラ、ヒバリ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ウグイス、シジュウカラ、メジロ、スズメなどが観察される。
冬鳥
ノスリ、サシバ、コジュケイ、クイナ、アオジ、アトリ、シメ、ルリビタキ、ダイサギ、マガモ、コガモ、オカヨシガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、キンクロハジロ、スズガモ、タシギ、ジョウビタキ、ツグミ、ユリカモメ、ウミネコなどが観察される。
夏鳥
ヨシゴイ、ササゴイ、アマサギ、チュウダイサギ、チュウサギ、ツバメ、イワツバメ、オオヨシキリ、コアジサシなどが観察される。
この他、旅鳥のトウネンなどが観察されることもある。 河川敷のうち運動場などに利用されていない草むらには雑草類が生い茂り、バッタなどの昆虫やそれを捕食する鳥類が生息する。 堤防部分では、強度維持のために定期的に草刈りが行われている。そのため日当たりのよい荒野に生育する各種雑草類やヤブカンゾウ・ノカンゾウ、ヒガンバナなどが観察される。 河口付近。干満の影響を受け、砂泥が堆積し干潟状になっている。ヤマトオサガニ(大師河原)クロベンケイガニ(大師河原)コメツキガニ(殿町)トウネン(冬羽、殿町) 河口付近は、左岸(東京都大田区)には羽田空港が建造され護岸化されているが、右岸(神奈川県川崎市川崎区)や中州には泥や砂が堆積し、河口から数 km にわたり、東京湾内では比較的広い干潟やヨシ原が形成されている。 かつての多摩川河口付近は遠浅になっていたため、江戸時代より新田開発のための干拓が始まっていたが、大正期以降にはさらに工業団地造成のための埋立が進められ、海岸線の姿は大きく変貌した。 この河口付近では、かつては海苔の養殖や貝捲き漁が盛んに行われていた。高級海苔の代名詞として呼ばれた「浅草海苔」は、かつて養殖されていた浅草付近の市街地拡張に伴い養殖漁業が周辺地域に移っており、18世紀初頭には品川・大森での養殖が盛んであったが、河口付近では明治4年に大師河原(現在の川崎市川崎区)で養殖が始まり、産した海苔は「大師のり」と呼ばれ高級浅草海苔として取引されたという。また、河口付近の遠浅の海ではアサリ、ハマグリ、バカガイ(アオヤギ)が大量に獲れ、羽田・大森ではウナギ、カレイ、コチ、ギンポ、アイナメ、エビなどが水揚げされる、豊かな漁場であった。 ところが昭和時代になると、京浜工業地帯で鶴見寄りから進められた埋め立てが多摩川河口付近まで及ぶとともに、工場廃液による海の汚染が進んだ。昭和30年代になると獲れた魚が油臭くて買い手がつかなかったという。また昭和44年になると多摩川河口付近でも埋立計画が立ち上がったことを受け、河口付近の沿岸漁業は昭和48年に漁協が漁業権を手放すことで終焉となった[55][56]。 しかし、今なお多摩川河口には僅かながらも貴重な干潟環境が残っている。こうした環境は、今や東京湾内では当地のほかに三番瀬、谷津干潟、盤洲干潟(小櫃川河口付近)、富津干潟など限られた地域に残るのみで、東京湾西岸では唯一の天然干潟でもある。このため2000年代に入ってから詳細な調査が進められており、「日本の重要湿地500」に選定される[57]など希少かつ貴重な環境として認識されている。 河口付近の岸辺は汽水域になっており、泥質および砂質の干潟が共存している。また潮の干満の影響を受けるため好気的な環境が維持され、こうした環境は好気性生物による水質浄化(BOD・COD低下)作用が高いことに加え、現在でもたとえば下記のような底生生物が確認されている(詳しくは文献[54]を参照)など、僅かな空間にもかかわらず多様な生態系が維持されている。
河川敷
河口
泥質
アサリ、アナジャコ、カワザンショウガイ