多摩地域
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しかし、同じく23区に隣接している現在の西東京市域はまだ郡部の保谷町、田無町だっため都区内地区にしなかった。府中市の多磨駅周辺、調布市飛田給地区、西東京市新町などは都区内料金区、稲城市の京王相模原線沿線と矢野口駅周辺は川崎市料金区ととのつながりが強いためバス会社によっては均一料金となることもある。 

電話単位料金区域 (MA) では、狛江市の大半および調布市・三鷹市の一部地域が特別区扱いで、市外局番03である(参考までに、兵庫県尼崎市が入っている大阪市の市外局番06とは異なり、市外局番03は都外では使われていない)。03以外の区域は、0428の青梅料金区(山梨県北都留郡小菅村丹波山村を含む)と0422の武蔵野三鷹料金区を除き、1997年(平成9年)?1998年(平成10年)にかけての移行後は、神奈川県相模原市の大半および山梨県南都留郡道志村の一部を含め042に統一されている。しかし料金区は依然、武蔵野三鷹、国分寺、立川、八王子、相模原、青梅に分かれており、異なる料金区間での市内通話はできないため、違う料金区にかける時は市外局番をつける必要がある。

多摩地域内を区分する場合、旧来の郡に合わせた多摩北部・多摩南部・多摩西部(あるいは北多摩・南多摩・西多摩)の3区分とする場合が多いが、おおよそ立川市を境に多摩東部・多摩西部という区分をすることもある。気象庁天気予報では、多摩東部・多摩西部と2つに区分している。それ以外にも不動産関係企業などで便宜的に区分を細分化している場合がある。
変遷

多摩地域は、平安時代中期に延喜式において、武蔵国多摩郡とされたのが始まりである。明治維新後にこの地の旧天領、旧旗本領は武蔵県韮山県などに編成された一方で、各藩の領地はそのまま各県の飛び地となった。多摩郡のうち東部の各村は武蔵県に編入され、品川県を経て1871年(明治4年)に東京府に編入された。北南西部の各村は韮山県に編入され、小田原県神奈川県を経て、1893年(明治26年)に東京府に移管された。1878年(明治11年)の郡区町村編制法施行により、それぞれ東京府および神奈川県において東多摩郡・西多摩郡・南多摩郡・北多摩郡の4郡が成立した。東多摩郡は1896年(明治29年)に南豊島郡と合併して豊多摩郡1932年(昭和7年)には東京市へ編入)となって消滅し、北多摩郡と南多摩郡は郡内全町村の市制施行に伴って1970年(昭和45年)、1971年(昭和46年)に消滅した。これにより旧多摩郡4郡で郡名を残すのは西多摩郡のみとなっている。
呼称
三多摩

本来の多摩地域は、令制国の武蔵国多摩郡に当たる。だがこの定義では、旧東多摩郡に属する地域(中野区杉並区の全域)と旧北多摩郡に属する地域(世田谷区の旧砧村・旧千歳村)は多摩地域に含まれ、埼玉県から編入された旧北足立郡(旧新座郡)に属する地域(西東京市のうち旧保谷市の地域)と旧入間郡に属する地域(瑞穂町のうち旧元狭山村の地域)は多摩地域に含まれないことになる。「保谷市#歴史」および「元狭山村#歴史」も参照

「東京都の特別区と島嶼を除いた地域」を指す名称としては、「多摩地域のうち東多摩郡を除く、北多摩郡・南多摩郡・西多摩郡の多摩3郡域」の意味で三多摩(さんたま)の語を用いる場合もあるが、前述のとおり世田谷区の旧砧村・旧千歳村の区域が北多摩郡であったため、厳密にはこれも正確な表現とは言えない。だが、多摩地域のうち旧東京市に編入された、現在の中野区・杉並区(旧東多摩郡、編入当時は豊多摩郡)、世田谷区の砧地域烏山地域(旧北多摩郡)が東京23区となってから長年が経過し、これらの地域がかつて「多摩」であったという意識は薄れている。また市制施行により西多摩郡以外の2郡は消滅したため、「三多摩」の語の使用頻度は減少しつつある。ただし旧郡名については地域名称として、例えば東京都議会の北多摩第一?第四、西多摩および南多摩の各選挙区分として利用されている(東京都議会#選挙区も参照)。
三多摩の行政区画の変遷
北多摩郡
北多摩郡は、現在の武蔵村山・東大和・東村山・清瀬・東久留米・西東京・小平・昭島・立川・国立・国分寺・小金井・府中・武蔵野・三鷹・調布・狛江市及び世田谷区の西部(旧砧村・旧千歳村)の区域。1907年(明治40年)に西東京市の旧保谷市の区域が埼玉県北足立郡より編入された。北多摩郡は1970年(昭和45年)に村山町が武蔵村山市に昇格したのを最後に消滅した。旧郡役所所在地:府中町(同上)現在の一級河川「多摩川」北側の地域であり「北多摩」と呼ばれる。
南多摩郡
南多摩郡は一級河川「多摩川」の南側であり、現在の八王子・町田・日野・多摩・稲城市の区域だったが、1971年に多摩・稲城の市制施行に伴い消滅。旧郡役所所在地:八王子市(同上)現在の一級河川「多摩川」南側の地域であり「南多摩」と呼ばれる。
東多摩郡
東多摩郡は1896年(明治29年)に南豊島郡と合併して豊多摩郡の区域の一部となり、1932年(昭和7年)に旧東京市に編入された。現在の中野区杉並区に相当する。旧郡役所所在地:中野村(同上 1896年(明治29年)当時)
西多摩郡
西多摩郡はかつて青梅・福生・羽村・あきる野市も含んでいたが、現在は瑞穂町・日の出町・奥多摩町・檜原村の3町1村に限ることである。1958年(昭和33年)に埼玉県入間郡元狭山村の区域の一部が編入された。旧郡役所所在地:青梅町(郡役所廃止1923年(大正12年))

これらに関しては東京都も参照のこと。

広域多摩地域(TAMA)

多摩地域に加えて、神奈川県国道246号沿線(川崎市多摩区麻生区宮前区高津区横浜市青葉区緑区都筑区瀬谷区)や相模原市大和市埼玉県のうち旧入間県所沢市狭山市入間市川越市などの南西部)は、電気・電子機械製造業の工場・開発拠点、大学などの教育研究機関が集積しているため、旧通商産業省関東通商産業局は、この一帯を総称して「広域多摩地域」と名付けた[5]


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