多摩区
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室町時代 - 寺尾若狭守が寺尾城を築城。

1504年9月 - 立河原の戦い。伊勢盛時(北条早雲)が山内上杉氏を攻める為、枡形城に入る。

1530年6月 - 小沢原の戦い。小沢城が後北条氏の拠点として利用される。北条氏康初陣。

1558年5月11日 - 北条氏康より長尾村へ撰銭令が出される。

1569年 - 武田信玄小田原乱入のおり、稲毛十六郷を放火。北条方御家人は枡形城に籠もり防戦。

近世

1590年 - 多摩川大洪水、流路が大きく北へ変わる。

1609年 - 小泉次太夫六郷用水、稲毛・川崎二ヶ領用水上河原幹線を完成。

1629年 - 筧助兵衛、二ヶ領用水宿河原幹線を完成。

1690年 - 菅村が多摩郡より橘樹郡に編入。

1725年 - 稲毛領52ヶ村が御鷹場となる。

1782年 - 関東地方に大地震

1786年 - 多摩川洪水、猪方村堤(現:狛江市)の堤防決壊。

1787年 - 天明の大飢饉、登戸でも打ち壊しが起きる

1790年 - 多摩川洪水、矢ノ口(現・稲城市)・菅村境の堤防決壊、中野島村では人家が流失、登戸下流では床上4尺の浸水

1791年 - 多摩川流域で梨の栽培が始まる

1809年 - 多摩川出水、堤防120間余大破

1810年 - 宿河原村字船島の稲毛・川崎二ヶ領用塩樋床替、以前の場所より145丁上流になる。

1825年 - 猪方村堤(現:狛江市)8箇所切断、新堤築立

1831年 - 寺子屋が普及

1855年11月 - 安政の大地震

1859年 - 多摩川満水、周辺11ヶ村に被害

明治以前は武蔵国橘樹郡であった。

近代

1868年 - 東京府、神奈川県が設置

1871年 - 廃藩置県。

1875年 - 中野島村が多摩郡より橘樹郡に編入。生田村が成立。

1878年 - 郡区町村編制法により行政区画としての橘樹郡が編成される。

1881年 -この頃より長尾で天然氷の製造が始まる。

1889年4月 - 町村制により橘樹郡に向丘村[注釈 1]稲田村[注釈 2]が成立。橘樹郡生田村に高石村、金程村、細山村が編入[注釈 3]

1889年4月 - 都筑郡に柿生村岡上村が成立。[注釈 4]

1893年9月 - 大師河原(現川崎市川崎区日ノ出)で当麻辰次郎が他の梨とは違う品種を発見し「長十郎」と名付ける。

1894年 - 川崎街道が県道となる。

1898年9月 - 多摩川出水、宿河原取入口大破損

1910年 - 多摩川氾濫。稲田村など5ヶ村民が村区域変動で争う。宿河原の一部が切れて、狛江と地続きになる。

1912年4月 - 府県境界変更により多摩川を東京府と神奈川県の境とし、上布田の飛び地、下布田の飛び地、和泉の飛び地が稲田村に編入、宿河原の飛び地が狛江村に転出。

1912年 - この頃より稲田村、生田村で梨・桃の栽培が盛んになる。

1917年5月 - 喜津根坂道路改修竣工。

1920年 - 多摩川砂利鉄道が南武鉄道となる。

1923年9月 - 関東大震災

1924年7月 - 川崎市が成立。(現在の多摩区にあたる地区は橘樹郡のまま)

1926年 - 向ヶ丘遊園開園

1927年 - 小田急線、新宿-小田原間の運転開始、豆汽車開業

1927年 - 神奈川県が「二ヶ領用水改良事業」を計画

1928年 - 登戸郵便局で電話業始まる

1929年12月 - 南武鉄道(現:JR南武線)全通

1932年6月 - 稲田村が町制施行して稲田町となる。

1935年 - 多摩川原橋が開通により、「上布田の渡し」が廃止、「下菅の渡し」と「矢野口の渡し」が結合し「菅の渡し」となる。

1936年 - 「二ヶ領用水改良事業」に基づく用水路工事開始

1938年10月 - 橘樹郡の稲田町、向丘村、生田村が川崎市に編入される。

1939年4月 - 都筑郡柿生村、岡上村を川崎市へ編入。

1940年 - 「堰の渡し」廃止

1941年3月 - 二ヶ領上河原堰の改造工事に着手

1944年 - 南武鉄道が国鉄になる。

1945年6月 - 二ヶ領上河原堰完成

現代(多摩区発足以前)

1949年5月 - 二ヶ領宿河原堰完成(コンクリートの固定堰)

1950年3月 - 豆電車開業

1951年 - 川崎市稲田公民館(後の多摩区民館)完成

1952年5月 - 川崎市稲田公民館に図書室を開設。

1953年 - 「多摩水道橋」完成、「登戸の渡し」廃止

1959年3月 - 東京都水道局長沢浄水場通水

1960年 - 宿河原堤の桜植樹開始

1960年 - 多摩川梨もぎとり連合会発足

1961年 - 登戸電報電話局開設

1962年4月 - 神奈川県稲田警察署開設。

1963年10月 - 稲田図書館開館

1964年 - 稲田保健所ができる。

1964年9月 - 読売ランド開園

1966年4月 - 小田急向ヶ丘遊園モノレール線開通

1966年 - 二ヶ領用水、矢上川、平瀬川などで水があふれ、または決壊、床上浸水の被害。

1966年 - 南武線複線化

1966年 - 多摩川、一級河川に

1967年 - 日本民家園開園

1969年 - 東名高速道路開通

1970年 - 多摩川サイクリングコース開設

1971年4月 - 京王相模原線、京王多摩川駅?京王よみうりランド駅間(2.7km)開業

1971年8月 - 生田緑地内に川崎市青少年科学館開館[2]

現代(多摩区発足後)生田緑地にある川崎市岡本太郎美術館

1972年4月 - 川崎市の政令指定都市移行に伴い、多摩区発足。政令都市化に伴い稲田公民館、稲田図書館、稲田保健所、稲田警察署がそれぞれ多摩区役所・多摩区民館、多摩図書館、多摩保健所、多摩警察署に名称変更[3]

1973年 - 菅の渡しが廃止

1974年9月 - 多摩川水害で対岸の狛江市側住宅流失。被害拡大を防止するため、二ヶ領宿河原堰を爆破[4]

1975年 - 住居表示実施に伴い高津区より長尾が編入。

1977年11月 - 多摩図書館新築開館し, 対面朗読室を設置。[5]

1978年 - 多摩自然遊歩道完成

1979年 - 長尾の里めぐり遊歩道完成

1982年7月 - 麻生区を分区

1988年6月 - 川崎都市計画事業登戸土地区画整理事業施行条例施行

1989年2月 - 川崎都市計画事業登戸土地区画整理審議会会議要綱制定

1995年 - 多摩川梨もぎとり連合会解散

1997年 - 多摩区総合庁舎開庁

1999年3月 - 可動式のゲートを備えた二ヶ領宿河原堰完成。二ヶ領せせらぎ館開館。

1999年 - 生田緑地内に川崎市岡本太郎美術館開館

2001年2月 - 小田急向ヶ丘遊園モノレール線廃止[6]

2002年3月 - 向ヶ丘遊園閉園(ばら苑は市に移管され生田緑地の一部となる)

2006年6月 - 登戸駅リニューアル、ペデストリアンデッキ完成[7]

2011年9月 - 藤子・F・不二雄ミュージアム開館[8]

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