外食の定義は、一般に狭義と広義の意味がある。
「狭義の外食は、食事をする空間とともに食事を提供する形態の業種を指す」[要出典][誰?]。食堂、レストラン、ファーストフードや喫茶店(カフェ)など一般に「飲食店」と称する業種がこれにあたる。
証券市場では証券コード協議会における業種分類で、狭義の外食産業はスーパーマーケットやコンビニエンスストアなどと同じ小売業に、「中食」を手がける企業は食料品に分類されている。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
店舗の例
食堂
大衆食堂
レストラン
ファミリーレストラン
喫茶店
ファーストフード
フードコート(スナックコーナー)
屋台
出店
料亭
飲み屋
居酒屋(割烹)
ビアガーデン
立ち食いそば・うどん店
日本における外食の歴史
出典検索?: "外食産業"
「茶屋」が登場したのは室町時代といわれ、職人歌合など中世の図像史料には寺社の門前で簡素な店舗を営み茶食を提供する職人の姿が描かれており、近世に至る前近代には外食業は寺社との関係が濃密であった。
近世には都市が発達し旅人の往来する街道沿いや参詣地である寺社、遊興施設など集客機能を持った場所が成立し、また物流網が発達し青物や海産物、乾物など多様な食材が安定的に供給されるようになり、料理屋など外食産業が成立する基盤が整えられ、都市の経済的発展や賑わいを示す要素にもなっている。
江戸時代初期には「飯屋」(めし屋)が登場し、例えば井原西鶴の「西鶴置土産」によれば、1657年に浅草に出店した飯屋の奈良茶(茶飯、豆腐汁、煮しめ、煮豆のセットメニュー)は人気を博したという。中期から後期にはそば屋や、留守居茶屋(料亭の起源といわれる。大名がいない間、大名屋敷を預かる留守居役を相手とした高級茶屋。会席料理を出していた)、居酒屋などの業態が登場したとされる。また、惣菜用の料理を扱う「煮売屋」が茶屋(煮売茶屋)を兼ねて料理を提供することもあった。
また江戸では、蕎麦、寿司、天ぷらなど、屋台の外食産業が盛んとなり、また江戸時代の料理屋としては芝居小屋など娯楽施設と近接し、飯盛女を雇用した売春を兼業することもあった。娯楽施設に近接する料理屋はその性格から博徒などアウトロー集団や犯罪に関わる情報が集中しやすく、一方で目明かしなど公権力の人間も出入りし、犯罪発生と治安維持の両側面をもった性格であることが指摘される。こうした料理やの多面的性格は近代に売春業は遊廓、治安維持は警察と都市における機能分化がすすみ、純粋に飲食のみを提供する施設へと変化していく。
これらの業態は、個人による生業(なりわい)的なものがほとんどで、「のれん分け」による支店としての関係にとどまっていたが、1960年代にアメリカで起こったフランチャイズブームをきっかけに、日本にもフランチャイズ形式の店舗が登場する。
1963年にはダスキンがFC1号店を出店し、不二家の洋菓子店FC1号店を出店。1970年、日本万国博覧会会場にケンタッキーフライドチキンが出店し、翌1971年にはマクドナルドが銀座三越に出店、同年にはミスタードーナツも第1号店を出店した。ファミリーレストランでは1970年にすかいらーく、ロイヤルホストが出店している。1973年には吉野家が神奈川県小田原市にフランチャイズ第1号店を出店、同年にはシェーキーズも渋谷に第1号店を出店している。
1970年代から1980年代には、セントラルキッチンやPOSが導入され、より効率化が図られた。