外濠_(東京都)
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江戸時代中期から徐々に埋め立てられ、明治中期には完全に水面を失ったとされ、1888年(明治21年)に「溜池町」が誕生、1947年(昭和22年)の町名変更で「赤坂溜池町」となり、1966年(昭和41年)の住居表示の導入で赤坂1、2丁目の一部となった。現在は、細長かった溜池の長軸を貫く形で外堀通りが走っており、六本木通りと交わる「溜池交差点」にその名を残すのみとなっている。1997年(平成9年)、同交差点に「溜池発祥の碑」が設置された。
赤坂門(赤坂見附)現在の青山通りを経由して大山道へと連なる西南の関門であった。赤坂見附の地名とともに、門の石組みが一部遺されている。
弁慶濠ほぼ往時の形のまま現存している。傍らを首都高速新宿線が走る。濠の名前は寛永年間に掘割の仕事を請け負った弁慶小右衛門によると御府内備考にある[9]。また現在桜田濠と呼ばれている内濠の濠も弁慶堀と呼ばれており[10]、区別するためにこちらの濠は赤坂弁慶堀と呼ばれていた。
喰違見附江戸開府後最も初期に作られた見附のひとつで、他の見附とは異なり、石組みのない簡易的な門であった。したがって枡形も存在しなかったが、かわりにクランク状の道路が作り込まれ、そこから「食い違い」の名を得たという。現在の道路にもその名残りを見ることができる。
四谷濠(真田濠)この部分はもともと台地であり、東西に延びる分水嶺の南北を繋げる形で開削して作られた人工の地形である。現在は南半が上智大のグラウンド、北半はJRおよび東京メトロ丸ノ内線・四ツ谷駅の敷地になっている。上智大学グラウンドとして利用されている土地は都有地で、敗戦直後、戦災瓦礫の処理に困った都が、濠に瓦礫を埋める作業を請け負って貰う代わりに上智大に永久貸与した。現在は10年契約での更新で、土日は近隣区民が抽選で利用できる[11]
四ッ谷門(四ッ谷見附)現在の四ッ谷駅付近には、甲州道中へとつながる西の要衝として四ッ谷門が構えられていた。石組みがいくらか遺されている。
市ヶ谷濠濠を一部埋める形でJR中央線が走るほか、南半は外濠公園の敷地であり、野球場やテニスコートなどがある。東半には水面を遺し、JR市ケ谷駅からの景観に独特の風致を与えている。
市ヶ谷門(市ヶ谷見附)JR市ヶ谷駅前付近に存在した。別名「桜の御門」と呼ばれ、春には桜が人々の目を楽しませたという。現在は、バラバラになった組石を数個遺すのみとなっている。なお、南北線駅に通じる地下コンコース内には濠の石組みが再現されているが、説明板によれば、これは雉子橋(上記#日本橋川の一部参照)付近から出土した石を移築したものである。
新見附濠?新見附橋?牛込濠市ヶ谷門から牛込門までは、もともとあった川筋を拡張したもの。鉄道(現JR)の開通によってやや幅を狭めてはいるが、現在まで非常に広い水面を遺している。土手部分は外濠公園として遊歩道が整備され、春には桜の名所となる。市ヶ谷門寄りには1950年代創設の釣り堀「市ヶ谷フィッシュセンター」があり、長年親しまれている。また牛込門寄りには、大正時代創設の東京最古のボート場「東京水上倶楽部」のデッキを転用したイタリアンレストラン「カナルカフェ」が営業している[12]。その脇には、ややわかりにくいが、かつて旧牛込駅への通路であった遺構が残存する。濠の下の地下部分には、東京メトロ有楽町線南北線の連絡線および留置線が設けられている(旧・二代目飯田橋検車区)。なお、新見附橋は明治期に新設されたものであり、新見附という見附が江戸時代に存在したわけではない。また、新見附橋のできる以前には、市ヶ谷門から牛込門までの全区間を牛込濠と呼んでいた。
牛込門(牛込見附)JR飯田橋駅西口近傍に2基の石組みが保存されており、江戸三十六見附の中でも最もよく往時の形を遺しているもののひとつ。また牛込橋のたもとにあたる部分にも石組みが遺されており、JR飯田橋駅のホームから見ることができる。牛込門は上州道へ通じる北の関門であった。市ヶ谷門の桜に対し、こちらは「楓の御門」と呼ばれ、紅葉が美しかったという。
飯田濠牛込門の下には落し口(小さな滝)があったが、飯田濠までは東から舟が入ることができた。付近には神楽河岸揚場町、軽子坂(軽子は人足の意という)など、荷揚げ場に関連する地名が残っている。市街地再開発によって飯田濠を埋め立てビルを建設する計画が1972年に持ち上がり、地元の住民らは「飯田濠を守る会」を組織し反対運動を展開、機動隊が入るという最後の集会には加藤登紀子が応援に入ったりもしたが、最終的に埋め立てられ、1984年に住宅棟・事務所棟からなる複合施設「飯田橋セントラルプラザ」(1F?2Fはショッピングモール「飯田橋ラムラ」)が竣工している[13]。なお、同ビルの外堀通り側には地元住民らを慰撫する目的も兼ね人工のせせらぎも設けられたが、近年はほとんど水を流していない。

広重「名所江戸百景」に描かれた江戸末期の溜池、赤坂見附駅近辺から南東を望む

弁慶濠は大きな改変を受けることなく、往時と変わらない姿を伝えている

四ツ谷の外濠跡地に作られた上智大学のグラウンド

四谷見附跡(2018年6月26日撮影)

市ヶ谷駅付近から新見附濠方向を望む。春は桜の名所となる

外濠公園より牛込濠と桜並木を望む

牛込見附付近から見た1930年頃の牛込濠。逸見享による版画

神田川下流部「神田川 (東京都)」も参照

飯田橋駅東口の近辺で外濠は北からの神田川(旧称江戸川)と合流し、以東も神田川と呼ばれる。この部分は完全に人工的な水路である(本来の川筋は日本橋川(前述)である)。御茶ノ水駅近辺など、両岸に高い崖を見せ、北から南へ延びる尾根筋(神田山、駿河台)を強引に横断したものであることを物語る。現在まで暗渠化されることもなく、ゆたかな水面を維持し、東京の都市景観の大切な一要素となっている。

往時、隅田川までの間にさらに3つの門(小石川門、筋違門、浅草門(浅草橋門))があり、また水道橋昌平橋をはじめいくつかの橋も架けられていた。

御茶ノ水橋から東の神田川

東方から望んだ往時の浅草門、現在の浅草橋とほぼ同じ位置にあった

脚注[脚注の使い方]^ “ひらめきブックレビュー 水を生かして制する「お堀」の智恵 家康の江戸に学ぶ 『徳川家康の江戸プロジェクト』”. NIKKEI STYLE (2019年2月6日). 2019年3月31日閲覧。
^ 『東京人』2019年1月号 p.19 - 20
^ 『東京人』2019年1月号 p.24
^ 川と掘割20の跡を辿る江戸東京歴史散歩
^ 『東京人』2019年1月号 p.29
^ 外堀のヘドロ除去へ 「気持ちよく五輪迎えたい」 毎日新聞(2018年1月16日)2018年1月20日閲覧
^ 『東京人』2019年1月号 p.82
^ 『東京人』2019年1月号 p.84
^ 大日本地誌大系
^ 錦絵でたのしむ江戸の名所 千代田区 > 弁慶堀
^ 『東京人』2019年1月号 p.31
^ 『東京人』2019年1月号 p.42
^ 『東京人』2019年1月号 p.19

参考文献

鈴木理生『幻の江戸百年』(『ちくまライブラリー』57)、筑摩書房、1991年6月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}
ISBN 4-480-05157-0


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