外村茂
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大学在学中の1925年(大正14年)1月、第三高等学校時代から「三高劇研究会」で親交のあった梶井基次郎中谷孝雄らと同人誌『青空』を創刊した[2]。11月に川端康成の同人誌『文藝時代』から文芸時評を依頼されて寄稿するが、名前を誤植され「外村繁」と印刷されたため、以後それを筆名とした[3]

大学卒業後、父親が急逝したため家業を継ぐが、やがて弟に家業を譲り、1933年(昭和8年)に阿佐谷へ移って小説家として再出発、「阿佐ヶ谷文士村」に入った。『鵜の物語』を発表。中谷の紹介で『麒麟』同人となる。

1935年(昭和10年)、当時連載途中だった『草筏』で第1回芥川龍之介賞候補となる。『草筏』は1938年(昭和13年)に完結し、第5回池谷信三郎賞を受賞。また、『草筏』完結時に再び第8回芥川龍之介賞予選候補となるが、先に池谷信三郎賞受賞が決定したことも影響し、受賞することはなかった。

戦後『筏』と『花筏』を発表し、『草筏』とともに「筏三部作」と呼ばれるようになる。『筏』で1956年(昭和31年)の第9回野間文芸賞を受賞したほか、1961年(昭和36年)には『澪標』で第12回読売文学賞を受賞している。

また、1949年(昭和24年)に同郷の辻亮一から「異邦人」を見せられた際、『新小説』に同作を掲載するよう推薦した。外村の推薦により「異邦人」は『新小説』に掲載され、翌年、同作によって辻は芥川龍之介賞を受賞している。

1961年(昭和36年)7月28日、上顎癌のため東京医科歯科大学医学部附属病院で死去[4]
家族

最初の妻である八木下とく子とは、帝大在学中の1924年(大正13年)春に、とく子が女給をしていた六本木のカフェーで知り合い、親からの勘当状態のなかで同棲生活を送っていた[5][2]。その後とく子は、心臓病と戦中戦後の栄養失調によって1948年(昭和23年)に死去。

1950年(昭和25年)に文部省職員の金子てい(貞子)と再婚するが、1957年(昭和32年)に外村が、1960年(昭和35年)にていが相次いでと診断され、夫婦で闘病生活を送った。外村との死別から4か月後、ていも乳癌で死去した。

長男は遺伝学者の外村晶(1926-2004)で[6]北海道大学理学博士東京医科歯科大学名誉教授、NPO法人「食品と暮らしの安全基金」の世話人代表。
顕彰滋賀県東近江市にある五個荘近江商人屋敷 外村繁邸

現在、外村繁の生家は「五個荘近江商人屋敷 外村繁邸」として保存・公開されている。「外村繁邸」の蔵では「外村繁文学館」として外村にまつわる資料を展示し、その業績を顕彰している[7][8]
著作

『鵜の物語』(1933) 砂子屋書房、1936 

『草筏』(1935?38) 砂子屋書房、1938  ‐
池谷信三郎賞

『春秋』赤塚書房 1939

『風樹 外村繁短篇小説傑作集』人文書院、1940 

『白い花の散る思ひ出 小説集』ぐろりあそさえて、1941 

『日本合戦史話』陸軍画報社、1943 

『日本の土』大観堂、1943 

『紅葉明り』世界社、1947 

『父の思ひ出』小山書店、1948

『愁いの白百合』偕成社、1949。山本さだ絵  

『早春日記』河出書房、1949

『夢幻泡影』(1949)

『春の夜の夢』(1949)

『最上川』(1950)

『赤と黒』(1953)

『夕映え』(1954)

『筏』(1954?56) 三笠書房、1956。のち新潮文庫 新装復刊1994 ‐ 野間文芸賞

『岩のある庭の風景』(1954) 大日本雄弁会講談社、1957 

『愛のうた』光書房 1958

『花筏』(1957?58) 三笠書房、1958 

『入門しんらん 新しき親鸞発見のために』普通社、1959

『春・夏・秋・冬』新創社、1959

『酔夢朦朦』(1960)

『澪標』(1960) 講談社読売文学賞

『落日の光景』(1960) 新潮社、1961

『濡れにぞ濡れし』(1960?61) 講談社、1961  

『日を愛しむ』(1961、絶筆)

『阿佐ケ谷日記』新潮社、1961

『夕映え』角川書店、1961

『外村繁全集』全6巻 講談社、1962

『澪標・落日の光景』新潮文庫、1962

『澪標・落日の光景』講談社文芸文庫 1992

脚注[脚注の使い方]^ ただし、1924年に出会い、1926年以降、郷里の反対に遇ったため、内縁の妻状態となっており、その間に子供を生んでいる。この1933年は籍を入れた年である。
^ a b 「第七章 天に青空、地は泥濘――本郷と目黒にて」(大谷 2002, pp. 137?161)
^ 「第八章 冬至の落日――飯倉片町にて」(大谷 2002, pp. 162?195)
^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)224頁
^ 「第一部 第一章 同人たち」(柏倉 2010, pp. 9?21)


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