外務大臣_(日本)
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その傾向は第二次世界大戦後も続いたが、石橋内閣1956年昭和31年)に岸信介が外務大臣となって以降は、一転政党人にとっての重要ポストとなり、以後現在に至るまで、外交官出身の外務大臣は出ていない。戦後非議員が外務大臣に就任した例としては大来佐武郎川口順子の2名のケースがある。

最年少の外相は加藤高明の40歳、戦後では玄葉光一郎の47歳3か月。初就任時最年長は戦前では宇垣一成の69歳9か月、戦後では上川陽子の70歳6か月(首相等の臨時代理を除く)。

内閣制度発足後の在職期間最長は内田康哉の7年5か月、戦後は内閣総理大臣兼摂を含めると吉田茂の5年2か月、外務大臣専任としては、岸田文雄の4年7か月[注 3]である。

田中角栄は外務大臣を大蔵大臣自由民主党幹事長などと並んで「総理総裁たる者が経験しておくべき重要ポストの一つ」に挙げている(田中を含む「三角大福」は田中以外すべて外相経験があり、田中も幹事長、蔵相などを経験している)。戦後の外務大臣で、後に内閣総理大臣に就任した人物は11人に及んでおり[注 4]、ここからもポストの重要性が伺われる。
名称

英語での呼称については、「Minister for Foreign Affairs」(外務)[4][5][6]とされている。法務大臣財務大臣などの場合は「Minister of ○○」と表記するのに対し、総務大臣と外務大臣の場合は、「Minister for ○○」との表記を用いている。
歴代大臣
臨時代理は、大臣不在の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。

兼任は、他の大臣が同時に務めることをいい、臨時代理とは異なる。

同一代数で複数の就任日の記載があるもの(内閣改造等による)について、2度目以降に関しては辞令は出されていない(再任でなく留任扱い)。

『外交史料館報』第2号掲載の井上勇一「歴代外務大臣の数え方」が外務省の公式な歴代外務大臣の数え方とされる。これでは、外務省創設時の初代外務卿の沢宣嘉を初代とし、戦前は首相の交代や再任に関わらず、外務大臣自身の交代によってのみ数える人物主義、戦後は同じ人物が再任される場合も、首相の交代や再任により、新たに外務大臣の辞令が発令される度に数える辞令主義をとっている。また、外務大臣が欠けた際の首相や他の大臣による臨時代理も代数に数えている
[7]

内閣制以前


外国事務総裁
代氏名就任日出身等在職日数
仁和寺宮嘉彰親王慶応4年1月9日
(1868年2月2日)皇族8日

外国事務総督
代氏名就任日出身等
在職日数
山階宮晃親王慶応4年1月17日
(1868年2月10日)皇族32日
三条実美公家
伊達宗城宇和島藩
東久世通禧公家
澤宣嘉慶応4年1月25日
(1868年2月18日)24日

外国事務局督
代氏名就任日出身等在職日数
‐山階宮晃親王
慶応4年2月20日
(1868年3月13日)皇族90日

外国官知事
代氏名就任日出身等在職日数
-伊達宗城
慶応4年4月21日
(1868年6月11日)宇和島藩主430日
澤宣嘉明治2年6月26日
(1869年8月3日)公家12日

外務卿
代氏名就任日出身等在職日数
1澤宣嘉
明治2年7月8日
(1869年8月15日)華族744日

(通算756日)
2岩倉具視明治4年7月14日
(1871年8月29日)華族、大納言108日
3副島種臣明治4年11月4日
(1871年12月15日)旧佐賀藩士668日

外務事務総裁
代氏名就任日出身等在職日数
3副島種臣
1873年(明治6年)10月13日旧佐賀藩士15日

(通算683日)

外務卿
代氏名就任日出身等在職日数
4
寺島宗則1873年(明治6年)10月28日幕臣2156日
5井上馨1879年(明治12年)9月10日長州藩士2295日

内閣制施行以後


外務大臣(太政官達第69号)
代氏名内閣就任日出身等在職日数
5井上馨
第1次伊藤内閣1885年(明治18年)12月22日旧長州藩634日

(通算2929日)※外務大臣としては634日
6伊藤博文1887年(明治20年)9月17日
※臨時兼任137日
7大隈重信1888年(明治21年)2月1日立憲改進党89日
黒田内閣1888年(明治21年)4月30日603日
8青木周蔵第1次山縣内閣1889年(明治22年)12月24日外務省498日
第1次松方内閣1891年(明治24年)5月6日23日
9榎本武揚1891年(明治24年)5月29日旧幕臣437日
10陸奥宗光第2次伊藤内閣1892年(明治25年)8月8日紀州藩1391日
11西園寺公望1896年(明治29年)5月30日
文部大臣兼任旧公家111日
第2次松方内閣1896年(明治29年)9月18日
※文部大臣兼任4日
12大隈重信1896年(明治29年)9月22日進歩党441日
13西徳二郎1897年(明治30年)11月6日外務省67日
第3次伊藤内閣1898年(明治31年)1月12日169日

外務大臣(外務省官制(明治31年勅令第258号))
代氏名内閣就任日出身等在職日数
14大隈重信第1次大隈内閣1898年(明治31年)6月30日


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