夕霧_(吹雪型駆逐艦)
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^ a b 馬来部隊指揮官は、南遣艦隊司令長官小沢治三郎海軍中将で旗艦は「鳥海」である[19]
^ 狭霧は1942年(昭和16年)12月24日にボルネオ島クチンで撃沈され、昭和17年1月15日付[21]で第20駆逐隊から除籍されていた。
^ 第三十五旅団(師団長川口清健陸軍少将)の一部。通称「川口支隊」[25]
^ 部隊指揮官は第31駆逐隊司令香川清登大佐、警戒隊「大波[35]、「巻波[36]。輸送部隊指揮官山代勝守大佐、輸送隊(天霧、夕霧、卯月)。
^ 電氣鎔接による鋲なし艦につき海軍ではその後各軍港の工廠や工作部で頻りに研究を進めた結果多大の經費と時間を要する從來の鋲打ち式より電氣鎔接による方が遙かに有利であるとの確信を得たので目下舞鶴工作部で艤装中である驅逐艦夕霧がまだ全工程の三分の一くらゐの状態にあるを幸ひにいよいよ同艦に對し電氣鎔接法を適用することになつたが何しろ我が海軍ではじめての試みであるだけに前部鋲なしにするは聊か冒險にすぎるため全體の三分の一(鋲約三十萬本分)だけ電氣鎔接の方法で建造することになつたが同艦は五月進水の豫定である[41](以下略)
^ 第8駆逐隊は、同年12月1日、霧級の天霧と朝霧で新編されたばかりだった[47]。当時の司令駆逐艦は天霧であった[48]
^ 第10駆逐隊は狭霧で新編され、後に駆逐艦を加えて3隻編制となった[53]
^ 夕霧修理中の1936年(昭和11年)7月1日、舞鶴海軍工廠に昇格した。
^ 南遣艦隊は第一南遣艦隊に改称された。司令長官や参謀長など留任。
^ 連合艦隊司令長官直率の主隊[103]

第一戦隊(大和長門陸奥

第二戦隊(山城扶桑伊勢日向

第九戦隊(北上大井

第三水雷戦隊(軽巡〈川内〉、

第11駆逐隊〈初雪、白雪、吹雪、叢雲〉

第19駆逐隊〈磯波、浦波、敷波、綾波〉

第20駆逐隊〈夕霧、朝霧、天霧、白雲〉)

他部隊からの駆逐隊

第24駆逐隊〈海風山風江風〉(※1)

第27駆逐隊〈時雨白露有明夕暮〉)


空母隊(鳳翔夕風[104]

特務隊(千代田日進)(※2)

燃料補給部隊
であった。

※1:涼風は修理中のため、同行しなかった[105]

※2:甲標的母艦2隻(千代田、日進)は主隊所属だが、連合艦隊より近藤信竹中将が指揮する攻略部隊に続行するよう命じられていた[106]

^ 警戒部隊の編成[108]

第二戦隊(伊勢、日向、山城、扶桑)

警戒隊(指揮官:第九戦隊司令官岸福治海軍少将:第九戦隊〈北上、大井〉[109]

第24駆逐隊〈海風、江風〉(※1)

第27駆逐隊〈夕暮、白露、時雨〉(※2)

第20駆逐隊〈天霧、朝霧、夕霧、白雲〉)

第二補給隊(さんくらめんて丸、東亜丸、山風)


※1:第24駆逐隊所属の駆逐艦涼風は、蘭印作戦で受けた損傷を内地で修理中。駆逐艦山風は第二補給隊に区分。

※2:第27駆逐隊所属の駆逐艦有明は、主力部隊補給部隊を護衛。

^ 本作戦時の南東方面部隊指揮官は、第十一航空艦隊司令長官塚原二四三海軍中将であった[121]。南東方面部隊指揮官は基地航空部隊指揮官を兼任し、外南洋部隊と内南洋部隊を指揮する[122][123]
^ 本作戦時の外南洋部隊指揮官は[130]第八艦隊司令長官三川軍一海軍中将である[122][123]
^ 陽炎型駆逐艦磯風第17駆逐隊に所属するが、本作戦では臨時に第24駆逐隊司令村上暢之助大佐の指揮下で行動していた[149]
^ ヘンダーソン飛行場に最初に進出した連合軍航空部隊は護衛空母「ロング・アイランド」が輸送してきたアメリカ海兵隊所属機で[153]、カクタス航空隊と呼ばれた[154]
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