夕霧_(吹雪型駆逐艦)
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^ 第三十五旅団(師団長川口清健陸軍少将)の一部。通称「川口支隊」[25]。
^ 部隊指揮官は第31駆逐隊司令香川清登大佐、警戒隊「大波」[35]、「巻波」[36]。輸送部隊指揮官山代勝守大佐、輸送隊(天霧、夕霧、卯月)。
^ 電氣鎔接による鋲なし艦につき海軍ではその後各軍港の工廠や工作部で頻りに研究を進めた結果多大の經費と時間を要する從來の鋲打ち式より電氣鎔接による方が遙かに有利であるとの確信を得たので目下舞鶴工作部で艤装中である驅逐艦夕霧がまだ全工程の三分の一くらゐの状態にあるを幸ひにいよいよ同艦に對し電氣鎔接法を適用することになつたが何しろ我が海軍ではじめての試みであるだけに前部鋲なしにするは聊か冒險にすぎるため全體の三分の一(鋲約三十萬本分)だけ電氣鎔接の方法で建造することになつたが同艦は五月進水の豫定である[41](以下略)
^ 第8駆逐隊は、同年12月1日、霧級の天霧と朝霧で新編されたばかりだった[47]。当時の司令駆逐艦は天霧であった[48]。
^ 第10駆逐隊は狭霧と漣で新編され、後に駆逐艦暁を加えて3隻編制となった[53]。
^ 夕霧修理中の1936年(昭和11年)7月1日、舞鶴海軍工廠に昇格した。
^ 南遣艦隊は第一南遣艦隊に改称された。司令長官や参謀長など留任。
^ 連合艦隊司令長官直率の主隊[103]
第一戦隊(大和、長門、陸奥)
第二戦隊(山城、扶桑、伊勢、日向)
第九戦隊(北上、大井)
第三水雷戦隊(軽巡〈川内〉、
第11駆逐隊〈初雪、白雪、吹雪、叢雲〉
第19駆逐隊〈磯波、浦波、敷波、綾波〉
第20駆逐隊〈夕霧、朝霧、天霧、白雲〉)
他部隊からの駆逐隊
第24駆逐隊〈海風、山風、江風〉(※1)
第27駆逐隊〈時雨、白露、有明、夕暮〉)
空母隊(鳳翔、夕風)[104]
特務隊(千代田、日進)(※2)
燃料補給部隊
であった。
※1:涼風は修理中のため、同行しなかった[105]。
※2:甲標的母艦2隻(千代田、日進)は主隊所属だが、連合艦隊より近藤信竹中将が指揮する攻略部隊に続行するよう命じられていた[106]。
^ 警戒部隊の編成[108]
第二戦隊(伊勢、日向、山城、扶桑)
警戒隊(指揮官:第九戦隊司令官岸福治海軍少将:第九戦隊〈北上、大井〉[109]
第24駆逐隊〈海風、江風〉(※1)
第27駆逐隊〈夕暮、白露、時雨〉(※2)
第20駆逐隊〈天霧、朝霧、夕霧、白雲〉)
第二補給隊(さんくらめんて丸、東亜丸、山風)
※1:第24駆逐隊所属の駆逐艦涼風は、蘭印作戦で受けた損傷を内地で修理中。駆逐艦山風は第二補給隊に区分。
※2:第27駆逐隊所属の駆逐艦有明は、主力部隊補給部隊を護衛。
^ 本作戦時の南東方面部隊指揮官は、第十一航空艦隊司令長官塚原二四三海軍中将であった[121]。南東方面部隊指揮官は基地航空部隊指揮官を兼任し、外南洋部隊と内南洋部隊を指揮する[122][123]。
^ 本作戦時の外南洋部隊指揮官は[130]、第八艦隊司令長官三川軍一海軍中将である[122][123]。
^ 陽炎型駆逐艦磯風は第17駆逐隊に所属するが、本作戦では臨時に第24駆逐隊司令村上暢之助大佐の指揮下で行動していた[149]。
^ ヘンダーソン飛行場に最初に進出した連合軍航空部隊は護衛空母「ロング・アイランド」が輸送してきたアメリカ海兵隊所属機で[153]、カクタス航空隊と呼ばれた[154]。これ以降、空母エンタープライズ派遣部隊やアメリカ陸軍航空軍などで増強されてゆく[29][155]。
^ 1月23日発令の外南洋部隊命令では、外南洋部隊は主隊(第八艦隊司令長官)、支援隊(第七戦隊司令官)、増援部隊(第三水雷戦隊司令官:警戒隊〈三水戦司令官〉、輸送隊〈第十戦隊司令官〉)、R方面航空部隊に区分されていた[179]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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