夏時間
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それ以来、多くの国でサマータイムが幾度も実施されており、特に1970年代の石油危機以後に普及した。赤道付近では、日の出と日の入の時刻が時間を調整するほど大きく変動することはないので、一般的にサマータイムの習慣はない。また、オーストラリアのように一部の地域でのみサマータイムを実施している国もある。逆に、高緯度地域では、日の出と日の入の時刻の差が大きく、時計を1時間ずらしてもあまり変わらないため、実施されない地域もある。アメリカ合衆国では、ハワイ州とアリゾナ州を除き[注 7]、サマータイムが実施されている。世界の人口に占める割合から見れば、サマータイムを採用している国・地域は少数派であり、アジアとアフリカの国々では一般的にサマータイムを採用していない。
根本原理古代の水時計は季節によって1時間の長さを変化させた。

工業化された社会では、通常、1年を通して変化することのない時計に基づいたスケジュールに従って日々の活動が営まれている。たとえば、通勤・通学の時間帯や公共交通機関の運行ダイヤの調整は、普通、年間を通じて一定である。一方、農耕社会では、仕事や身の回りのことにかかわる日課は、の時間の長さと太陽時に左右されやすく[14]、これらは地球の軸の傾きによって季節ごとに変化する。熱帯の南北では、昼の時間が夏は長く、は短くなり、赤道から離れるほどその影響は大きくなる。

ある地域のすべての時計を同期的に標準時の1時間先に調整すると、時計に基づいたスケジュールに従っている人は、そうでない場合よりも1時間早く目覚める。いやむしろ、まだ暗い早朝に1時間分、早起きすることになる。そして、1時間早く日常業務を始めて終わらせ、就業時間後に1時間余分に日中の時間を利用できるようになる[15][16]。冬の間は、始業時間帯に利用できる日中の時間が1時間少なくなるため、この施策はあまり実用的でない。

サマータイムの推進派は、大多数の人が典型的な「9時から17時まで」の勤務時間の後、日中の時間が長く使えることを好んでいると主張している。また、サマータイムは照明や暖房の需要を減らすことでエネルギー消費を節減するとも主張しているが、エネルギー使用量全体に対する実際の効果については、大いに議論されているところである。

見かけ上の時刻のずれは、実用性によって動機づけられたものでもある。たとえば、アメリカの温帯地域では、夏至の日の出が4時30分頃、日の入が19時30分頃である。多くの人は4時30分には眠っているので、4時30分を5時30分に見せかけて、日の出の時刻に起き、夕方の光を浴びて活動できるようにするのが、より実用的と考えられる。

高緯度地域(アイスランドヌナブトスカンディナヴィアアラスカなど)では、低緯度地域に比べて季節による昼夜の長さの変化が激しいため、時間を操作しても日常生活にはほとんど影響を与えない[17]。日の出・日の入時刻は、時計の操作にかかわらず、標準的な労働時間帯とは大きくずれてしまう。

赤道付近は1年のうちで昼の時間の変化が小さいため、高緯度地域と同様にサマータイムはほとんど役に立たない[18]。また、サマータイムの効果は、等時帯内でどれくらい東寄りまたは西寄りの場所にいるかによっても異なり、同じ等時帯でも東に位置する場所の方が、西に位置する場所よりもサマータイムによる恩恵が大きい[19]中国のように東西の幅が何千キロもあるにもかかわらず、政府の命令で国土の全域が一つの等時帯内に収まっている国でも、サマータイムはあまり実用的でない。
歴史「各国における夏時間 § 各国の夏時間の歴史」も参照近代的なサマータイムを発案し、1895年に初めて提唱したジョージ・ハドソン

古代文明では、昼の長さに関係なく太陽が出ている時間を12分割した時間単位に分け、春には昼間が徐々に長くなるように、秋には昼間が徐々に短くなるようにし、今日のサマータイム制よりも柔軟に太陽に合わせて一日のスケジュールを調整していた[20]。たとえば、古代ローマ人は月ごとに目盛りの異なる水時計で時を計っていた。ローマが位置する緯度では、日の出から数えて3番目の刻 (hora tertia) は、冬至点では太陽時の9時2分からの44分間とされるが、夏至点では太陽時の6時58分からの75分間とされる[21]。14世紀以降、時間の間隔が等しい市民時(定時法)が、間隔の等しくない従来の市民時(不定時法)に取って代わり、市民時において時間が季節によって変化することはなくなった。他方で、不定時法は江戸時代の日本でも使用されていた[22][23]ほか、少数ではあるが、アトス山にある修道院や[24]、ユダヤ教の儀式など[25]、一部の伝統的な場では今なお用いられている。

ベンジャミン・フランクリンは「早寝早起きすれば、健康に裕福にそして賢くなれる」という格言を書物に残しており[26]、アメリカ合衆国全権公使としてフランスに派遣された時期(1776-1785)には、日刊『ジュルナル・ド・パリ(英語版)』紙上で発表した匿名の投書の中で、早起きして朝の日光を利用し、ロウソクを節約するよう、風刺的にパリ市民に提案している[27]。1784年発表のこの風刺文では、窓の鎧戸に課税し、ロウソクを配給制とし、日の出の時刻に合わせて教会の鐘を鳴らしたり号砲を撃ったりして、市民を目覚めさせることを提案している[27]。よく誤解されているのだが、フランクリンは実際にサマータイムを提唱したわけではなく、18世紀のヨーロッパの人々は正確なスケジュールを守ってさえもいなかった。しかし、鉄道輸送や通信網の発達により、フランクリンの時代にはなかった時刻の標準化が求められるようになり、その流れは変わっていった[28]

1810年、スペイン国民議会コルテス・デ・カディス(英語版)は、時間の季節的な変化を考慮して、5月1日から9月30日までの間、特定の会議の開会時間を1時間早めるという規則を発表した[29]が、実際には時計は変更されなかった[30]。また、民間事業者が日光の条件に合わせて営業時間を変更する慣行があることも認めた[29]が、それは事業者が自らの意思で行なったことである。第一次世界大戦中の1918年にアメリカで夏時間を促進するために作成されたポスター(ユナイテッド・シガー・ストアーズ社(英語版)作成)

近代的なサマータイムを初めて提唱したのは、ニュージーランドの昆虫学者ジョージ・ハドソン(英語版)である。シフト勤務の仕事をしていたハドソンは、余暇を昆虫採集に費やしていたこともあり、勤務時間外の昼の時間に価値を見出すようになった[11]。1895年、ハドソンはウェリントン哲学協会に1本の論文を提出した[11][15]。その内容は、日光を2時間節約するシフトを提案するもので、クライストチャーチでは大きな反響があり、ハドソンは1898年にも論文を発表してこれに応えている[31]。一方、イギリスの建築業者でアウトドア好きだったウィリアム・ウィレット[32]、朝食前の乗馬中にロンドンの人々が夏の一日の大半を眠って過ごしているのを見て、1905年に独自にサマータイムを発案したといわれている[33]。ウィレットは熱心なゴルファーでもあり、夕暮れで自分のラウンドが打ち切りになるのを嫌っていた[34]。彼が出した解決策は、夏の間だけ時計を進めるというもので、この提案は2年後に発表された[35]。自由党所属のロバート・ピアース(英語版)議員は英国議会でこの提案を取り上げ、1908年2月12日に最初の日光節約法案 (Daylight Saving Bill) を議会下院に提出した[36]。この問題を調査するための特別委員会が設置されたものの、ピアースの提出した法案は成立せず、その後に幾度か提出された他の法案も成立を見ることなく廃案となった[12]。ウィレットは1915年に亡くなるまで、この提案について国内でロビー活動を続けた。

世界で最初にサマータイムが制定された都市は、カナダのオンタリオ州ポート・アーサー(英語版)(現在のサンダーベイ)で、1908年7月1日のことだった[13][37]。これに続いて、同州オリリアが市長ウィリアム・ソード・フロストの市政期 (1911?1912) にサマータイムを導入した[38]。初めて全国規模でサマータイム(ドイツ語: Sommerzeit)を採用した国は、第一次世界大戦中のドイツ帝国とその同盟国オーストリア=ハンガリー帝国で、戦時中に石炭を節約するために1916年4月30日に開始された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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