売官
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こうした行為は律令国家・法治国家の建前からすれば、国家の秩序を乱す行為であったが、その前提となる財政・税制を巡る法制の機能が崩壊した時代において、こうした年官・成功が古代末期から中世日本の国家財政を支えていたのが実情であり、成功という表現に「功」の字が用いられ、反対に売官行為として非難された記録が平安・鎌倉時代を通じて数例しか見られないことが、当時の政治指導者によって年官・成功が積極的・肯定的に評価されていたことの反映であったと考えられている[3]

また、正式な売官ではないが戦国時代になると、朝廷は御所の修理や即位の礼が行えないほど困窮していたため、各地の戦国大名に官位を与え、その見返りに礼物礼銭を得ており、これが重要な収入源となった。本来は室町幕府武家官位を統制していたが、戦国時代に入ると幕府の権威・権力が低下したために、戦国大名が幕府を通さずに朝廷と直接交渉するようになっていた。その結果、官位が濫発され、本来は室町幕府の四職だけしかなれなかった左京大夫が一時期に何人も誕生したり、大内義隆のように朝廷に多額の献金を行うことで従二位兵部卿にまで上り詰める者まで出ている[4]
脚注^ 柿沼陽平「後漢時代における金銭至上主義の台頭」『中国古代貨幣経済の持続と展開』(汲古書院、2018年)P74-75・86-87.
^ 柿沼陽平「後漢時代における金銭至上主義の台頭」『中国古代貨幣経済の持続と展開』(汲古書院、2018年)P73-75・85-92.
^ 上島享『日本中世社会の形成と王権』(名古屋大学出版会、2010年) ISBN 978-4-8158-0635-4 P606-607
^ 今谷明『戦国大名と天皇』(講談社学術文庫、2001年) ISBN 4-06-159471-0 P70-98

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