声優
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声優の男女比率の反映に加えて[注 25]女性声優が数人在籍するアイドルユニットや声優アーティストユニット自体生み出される数が男性のそれより非常に多い[265]。さらに演じる女性声優も多数出演するタレントゲーム恋愛シミュレーションゲームが非常に多く発売され、こうしたゲーム出演で多数の女性声優が歌手デビューやアイドル声優化する傾向も続いている。

「アイドル声優」「声優アーティスト」のいずれであれ、声優の顔出しでの活動が増えた理由として、声優の社会的地位の向上のほかに、声優の役割やイメージの変化(「裏方的な仕事」とされてきたのが「ルックスや若さが重視される」ように変化した)が背景としてあると指摘されている[155][268]
上記以外の他分野活動

声優も、現役で声優をしながら一方で芸能活動ではない他の仕事を持つ者もしばしばみられる。例として、養成所で講師をつとめたり、事務所/#声優プロダクションを経営している者、音響監督などもしている声優は多い。

他には、以下のようなケースがある。
看護師・保育士
看護師から声優となった者に長妻樹里ひと美がいるが、荒川美穂大浦冬華はある時期まで看護師をしながら声優をしていた。林原めぐみも当初看護師も兼任していた。そして桜木つぐみは現役看護師でもある。声優になる前銀行員であった服巻浩司はその後保育士と声優を兼業している。
出版・執筆
小森まなみは童話作家としても活動、浅野真澄や丹下桜絵本なども刊行し、浅野は文学賞を受賞している。徳井青空も絵本を刊行しているがそれだけでなく声優業をこなす傍らまんがの連載を抱え、そのまんがは後にアニメ化されている。浅沼晋太郎は元々俳優のほかに脚本家、演出家やデザイナーやコピーライターを兼務していた。
経営
白壁爽子はIT企業代表、神原大地はコンテンツ会社の社長業、西川幾雄はタコ焼き屋、柴田秀勝は会員制バー経営、中尾隆聖は新宿でスナックを経営してもいる。たてかべ和也は所属事務所のマネージャー兼常務取締役を兼ねていた。
スポーツ
プロボウラーと兼任する渡辺けあきや、「VART」という自動車レースチームを結成した三木眞一郎、浪川大輔、石川界人畠中祐らがいる。
異国語・方言の指導
ロシア人声優ジェーニャロシア人であるため、アニメ作品でロシア語指導やロシア語監修を平行して行うなどが知られる。こうした活動はジェーニャの他にも酒井玲スペイン語指導)、駒田航(『オーシャンズ8』でのドイツ語指導)、サッシャ(『風立ちぬ』 (2013年) でのドイツ語指導)らが、外国語指導を施したことがある。一方で、声優も日本各地にある方言の指導を、自身が出演した作品はもちろんのこと、声を出して行う職業として指導を行っている場合もあり、中村章吾(主に鹿児島弁)、岐部公好(大阪弁)、大方斐紗子(福島弁)、下川江那(柳川弁や久留米弁)、井上祐子(小倉弁)、橋本信明(名古屋弁)、麦穂あんな(『ルートレター』での出雲弁)、ユリン千晶(広島弁)、有川知江(北海道)、儀武ゆう子(沖縄)、島本須美(土佐弁)、いのくちゆか博多弁)、宝亀克寿(映画『坂道のアポロン』での佐世保弁[274])などが知られる。
その他
大亀あすか伊達朱里紗吉倉万里はプロ雀士でもあり、小杉十郎太は『Zガンダム』時代、松竹で営業を担当するサラリーマン勤めをしており、また岩田光央は『AKIRA』時代にデザイン事務所で当時働いていて、兼業で声優をしていた。諏訪部順一も当初は会社了承のもと正社員として働きながら声の仕事をしていた。川上莉央はOLと兼業。竹内良太は派遣社員と二足のわらじで声優活動を行っていた。白石稔は声優とアニソンDJを兼務している。
声優プロダクション

声優が所属するプロダクションには通常の芸能プロダクションの声優部門の他に、声優が多く所属する声優プロダクションとがある。

声優プロダクションは、声優から手数料を徴収し、音響制作会社や放送局などに対して、アニメ・日本語吹替・ナレーションなど得意分野ごとに配置されたマネージャーが営業活動や声優の売り込みなどを行う。専門の養成所を持ったり専門学校と提携して新人の育成も行う。

もともと制作会社の関連会社に位置していて連携の強いプロダクションが存在し、特に2000年代は特に新たに創業される例が見られた[注 26]が、2010年代以降は制作会社の一部門として直営され、より連携が強固なプロダクションも存在する[注 27]。特定の制作会社との連携が強くとも、ほかの制作会社が手がける仕事も請ける。また、もともと音楽系のプロダクションでも声優のマネージメントを行う例が近年あり[注 28]、この場合は本業を生かして歌手活動も積極的に行われることが多い[注 29][注 30]。他分野中心の芸能プロダクションが声優部門に力を入れるようになる例も見られる[注 31]

声優界は「『芸能界で最も古い体質』を今も残している」として当該業界への批判が相次いでいる問題もあり、その一部としてはプロデューサーなど役職の地位が高い人物からのセクハラを代表とするハラスメント行為が横行しているという点が挙げられ[275][276][277]、過去には実際に関係事件で逮捕される事件も起きている[278][279]
経済環境

声優は所属事務所からの基本給というものは存在せず[注 32]、各人の仕事実績によるギャランティ(報酬金)が収入となる個人事業者である。所属事務所とは通常1年更新のマネジメント契約を締結し、売込みやマネジメントの対価として業界平均で出演料の約20%から30%を事務手数料として事務所へ支払い[280]源泉徴収も10%[注 33]引かれ[注 34]、この残りが声優の手取りの報酬となる[281]。歌手や俳優などと同じくシステムの競争社会であり、経済的に自立できずに脱落していく者も多い。

1956年、ラジオ声優のマネジメントを行っていたプレーヤーズ・センターの事務員が所属する声優のギャラを横領してキャバレー代につぎ込んでいたことが発覚。横領額は20万円程度であったが、当時のラジオ声優のギャラは最高1万円、最低600円の時代であり、大きく報道された[282]

日本語吹き替えが始まった1960年代には、声の仕事は顔出し出演の7割の出演料「顔出しの七掛け」とされ[283]、低い位置にある仕事とみなされ、舞台俳優がアルバイトのような形でやっていた。舞台や実写の仕事と比較して、吹き替えの仕事は拘束時間が少なくかけ持ち出演が可能なため、数をこなせば収入を増やすこともでき、演技力を生かせることから不満に持つ者は少なかった。1964年の時点で30代後半の中堅とされる声優で30分番組の吹き替えのギャラが5000円程度で、最高ランクとされる若山弦蔵が1万円程度とされる[284]。若山は同時期に複数の番組の主役をすることは、視聴者のイメージを壊すことになり、道義的にも避けるべきではあるが、掛け持ちをしなければ生活が出来ない状況を語っていた[284]

声優の賃金待遇改善については、声優の多くが日本俳優連合(日俳連)に所属しており、日俳連は音響制作会社の集合体である日本音楽制作者連盟(音声連)、声優のマネージメントを行う事業者で組織する日本芸能マネージメント事業者協会(マネ協)と「三団体実務小委員会」を設けて、出演ルールの改定や待遇の改善を申し入れて来た。ときにはストライキ1973年〈昭和48年〉8月8日)や街頭デモ活動を行うなどして、1973年(昭和48年)には報酬が約3倍アップ、1980年(昭和55年)には再放送での利用料の認定、1991年(平成3年)には報酬が約1.7倍上昇するなどの成果を勝ち取ってきた。


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