そして、林原めぐみなどの女性声優がレコード会社と契約を行って歌手活動をする例が増えてくる[151]。 用語として、おおむね1990年代半ばから後半にかけて、頻繁に用いられていたが、明確な定義は存在していない。第一次、第二次という使い方も、この用語から逆算的に使用されたもので、こちらも明確な定義は存在していない。この時期の特徴として、「新人声優のデビューラッシュ」[注 6]「声優の音声入りのテレビゲームやパソコンゲームの登場による仕事の増加」とともに、「声優のマルチ活動化や歌手活動への進出によるアイドル化」「声優がパーソナリティを務めるラジオ番組の普及」などが挙げられる。このことから、声の演技力のほかにも、特にアニメ・ゲームで活躍するには容姿のよさや歌唱力などといったようなことも声優に求められるようになったとされる。 1994年(平成6年)に初めての声優専門誌となる『声優グランプリ』と『ボイスアニメージュ』が相次いで創刊された[152]。同年、ステージ制作業務を手掛けるネルケプランニングが設立され、アニメ作品のキャスティング業務にも参入している。またこの年から日本声優検定協会の声優検定といった検定が誕生している。 1995年(平成7年)には初の声優専門のテレビ番組『声?遊倶楽部』が放送された。そして清水香里や坂本真綾などが、当時中学生でテレビアニメの主人公に抜擢される例もあり、アイドル的な注目を受けた[153][154]。 1997年(平成9年)には、椎名へきるが声優として初めて日本武道館で単独コンサートを開催した。椎名は声優が必ずしもアニメや外国映画吹き替えなどの、映像中のキャラクターの影という声の代行者という役割ではなく、声優そのものがスター性を持った存在となり得ることを最初に示した先駆者とみられている[141]。 この時期、アニメ作品で声を担当した声優が舞台公演などでその担当したキャラクターを演じる例の先駆として、サクラ大戦シリーズ#歌謡ショウが始まる。これは1997年(平成9年)から2007年(平成19年)まで続くが、サクラ大戦帝国歌劇団花組のキャラクターの声を演じている声優が、実際に舞台上でそのキャラクターを演じるミュージカル仕立ての公演で、それまでアニメ原作の舞台では俳優が演じていたが、アニメとの声の違いを指摘した子供がいたことで、サクラ大戦シリーズの総合プロデューサーである広井王子は、キャラクターの担当声優を決める際に、舞台公演も視野に入れてキャスティングしていた。 2000年代後半ごろから、一部のマスコミで「第4次声優ブーム」という表現が用いられるようになった(ただし、明確な定義はない)[155][156]。このころから、子どもの「なりたい職業ランキング」の上位に「声優」がランクインするようになった[155]。 この時期、1990年代より活動していた水樹奈々、田村ゆかりや、舞台俳優から転向した宮野真守などの「声優アーティスト」としての成功や、2005年(平成17年)から開催されているAnimelo Summer Liveなどのアニメソング系の合同フェス的なライブ[注 7]の普及などにより、声優と歌手活動を両立させる声優がこの時期以降ますます増加するようになった。水樹は、声優として初のドームツアーやNHK紅白歌合戦への出場など、音楽活動の活躍も目立った。 2007年(平成19年)、一般社団法人・日本声優事業社協議会が設立されている。2008年には日本声優能力検定協会の声優能力検定が開始される。 2000年代後半以降、深夜アニメの本数が急速に増加[注 8]。これにより、いわゆる「アニメバブル」という状況が生まれ、新人声優デビューは増加の一途をたどる。資格制度があるわけではないので実数の把握は困難であるが、声優専門誌である『声優グランプリ』の声優名鑑に記載されている声優の人数は2001年版は370人[注 9]だったのに対し、2022年版は21年前と比べて約4.5倍の1658人[注 9]に増加していることからも窺える[157]。こうして花澤香菜、悠木碧、神木隆之介、日高里菜、瀬戸麻沙美、石原夏織、伊藤美来、夏川椎菜、水瀬いのり[158]、富田美憂、林鼓子[159]、楠木ともり[160][161]、近藤玲奈、菱川花菜などは当時10代で声優を務めている。2010年代には小宮有紗、美山加恋、福原遥のように声優・俳優・歌手を兼業する者も目立った[162][163]。 2010年代には声優の音楽活動においても、『ラブライブ!』の派生ユニットμ'sが、東京ドーム公演やNHK紅白歌合戦への出場するなど人気を獲得した。このため、現在の声優は演技だけではなくアイドルのように、ルックス、歌唱力、ダンススキルが求められる例もある。
第三次声優ブーム
第四次声優ブーム