壬午事変
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それに加えて、当時朝鮮では財政難のため、当時は米で支払われていた軍隊への給料(俸給米)の支給が1年も遅れていた[5][7][8]1882年の夏は、朝鮮半島が大旱魃に見舞われ、穀物は不足し、政府の財源は枯渇していた[9]

1882年7月19日、ようやく13か月ぶりに武衛・壮禦の両営兵士に支払われることになった俸給米はひと月分にすぎなかった[5]。しかし、支給に当たった宣恵庁の庫直(倉庫係)が嵩増しした残りを着服しようとしたため、、腐敗米などが混ざっていた[5][6][8]。これに激怒した旧軍兵士は倉庫係を襲ってこれに暴行を加え、倉庫に監禁し、庁舎に投石した[5][6][8]。ところが、この知らせを受けた担当官僚(宣恵庁堂上)であった閔謙鎬は首謀の兵士たちを捕縛して投獄し、いずれ死刑に処することを決定した[5][6][8]。これに憤慨した各駐屯地の軍兵たちが救命運動に立ち上がったが、運動はしだいに過激化し、政権に不満をいだく貧民や浮浪者をも巻き込んでの大暴動へと発展していった[5]。民衆もまた、開港後の穀物価格の急騰に不満をつのらせていたのである[10]。かくして、7月23日(朝鮮暦6月9日)、壬午軍乱が勃発した[5]。これは、反乱に乗じて閔妃などの政敵を一掃し、政権を再び奪取しようとする前政権担当者で守旧派筆頭の興宣大院君の教唆煽動によるものであった[7][8][10]。反乱を起こした兵士等の不満の矛先は日本人にも向けられ、途中からは別技軍も暴動に加わった[5]

7月23日、兵士らは閔謙鎬邸を襲撃したのち、投獄中の兵士と衛正斥邪派の人びとを解放し、首都の治安維持に責任を負う京畿観察使の陣営と日本公使館を襲撃した[6]。このとき、別技軍の軍事教官であった堀本少尉が殺害されている[6]。翌7月24日、軍兵は下層民を加えて勢力を増し、官庁、閔妃一族の邸宅などを襲撃し、前領議政(総理大臣)の李最応も邸宅で殺害された[6]。さらに暴徒は王宮(昌徳宮)にも乱入し、軍乱のきっかけをつくった閔謙鎬、前宣恵庁堂上の金輔鉉、閔台鎬、閔昌植ら閔氏系の高級官僚数名を惨殺した[6]。このとき、閔妃は夫の高宗を置き去りにして王宮から脱出し、その日のうちに忠州方面へ逃亡した。王宮に難を逃れていた閔妃ので別技軍の教練所長だった閔泳翊は重傷を負った。

軍兵たちは23日夕刻までに王宮を占拠し、国王からの要請という形式を踏んで大院君を王宮に迎え、彼を再び政権の座につけた[5]

当時の様子を、朝鮮滞在のロシア帝国の官僚ダデシュカリアニは、以下のように書き記している[注釈 3]

朝鮮は一瞬のうちに、凄まじい殺戮の舞台と化した。父親たちが子供たちに武器を向けたのである。ソウルでは8日間、無差別の流血が止まらなかった。当初は叛徒らが勝利を収めた。進歩派、ならびに当時ソウルに在住した外国人の双方を同時に敵としなくて済むように、彼らは先ず後者に襲いかかった。…(後略)[11]

暴徒は漢城在住の日本人語学生、巡査らも殺害した[5]
軍乱による日本人犠牲者襲撃された日本公使館漢城(現、ソウル)の日本公使館。1900年頃の撮影公使館脱出を描いた豊原周延の木版画

殺害された日本人のうち公使館員等で朝鮮人兇徒によって殺害された以下の日本人男性は、軍人であると否とにかかわらず、戦没者に準じて靖国神社に合祀されている[注釈 4]。合祀された人びとの氏名・年齢等は以下の通りである。
堀本礼造
陸軍工兵少尉(戦死により陸軍工兵中尉に昇進される)。
水島義
日本公使館雇員
鈴木金太郎
31歳。日本公使館雇員(事由 戦死:明治15年11月2日靖国神社合祀)
飯塚玉吉
27歳。日本公使館雇員(事由 戦死:明治15年11月2日靖国神社合祀)
廣戸昌克
33歳。一等巡査(事由 戦死:明治15年11月2日靖国神社合祀)
本田親友
22歳。三等巡査(事由 戦死:明治15年11月2日靖国神社合祀)
宮鋼太郎
18歳。外務省二等巡査(事由 弁理公使花房義質を護衛中 戦死:明治15年11月2日靖国神社合祀)
川上堅鞘
27歳。外務省二等巡査(事由 戦死:明治15年11月2日靖国神社合祀)
池田為義
28歳。外務省二等巡査(事由 戦死:明治15年11月2日靖国神社合祀)
遠矢庄八朗
外務省二等巡査(事由 戦死:明治15年11月2日靖国神社合祀)
近藤道堅
22歳。私費語学生(事由 袈裟かけに2箇所重傷を負い自刃す 戦死:明治15年11月1日靖国神社合祀)
黒澤盛信
28歳。私費語学生(戦死:明治15年11月2日靖国神社合祀 :扶助料千五百圓を賜う)
池田平之進
21歳。陸軍語学生徒(戦死:明治15年11月2日靖国神社合祀)
岡内格
23歳。陸軍語学生徒(戦死:明治15年11月6日靖国神社合祀)

靖国神社遊就館では、事変で殉職した英霊の顕彰が行われており、壬午事変時に日本公使館に掲げられていた日章旗が併せて展示されている。


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