士官
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1942年(昭和17年)11月1日、特務士官の階級名から「特務」との呼称が削除され、特務大尉 → 大尉、特務中尉 → 中尉、特務少尉 → 少尉 と改められたが、実際は海軍廃止まで特務士官制度は存続し必要に応じて「特務士官たる?尉」と区別されていた[注 7]

日本海軍の特務士官及び准士官の階級呼称の変遷(1897年から1946年解隊まで)[22] [31] [35] [37][注 8]1897年(明治30年)1915年(大正4年)1920年(大正9年)1942年(昭和17年)
高等官六等士官[注 5]特務士官[注 6]特務大尉大尉
七等特務中尉中尉
八等兵曹長[注 3]兵曹長特務少尉少尉
九等
判任官一等准士官上等兵曹准士官上等兵曹兵曹長兵曹長

特選制度

明治30年12月1日に兵曹長及び同相当官を置いた際に[22]、海軍高等武官進級条令の改正により兵曹長及び機関兵曹長は特選により中尉・中機関士に任用することができる道が開かれた[28]1900年(明治33年)に初めての中尉が誕生している。しかし、名誉進級か戦死に伴った昇進であり、中尉として勤務できたものはいなかった。1920年(大正9年)の大改正までに昇進できたものも約100名程度にとどまっている。大改正により特務中尉・特務大尉の階級を新設し、特務大尉・機関特務大尉及び主計特務大尉は特選により各少佐・機関少佐及び主計少佐に任用することができるとしたが[47]、従来は少尉と同等であった特務士官が特務大尉まで進級できるようになったため、大正年間には特選任用されたものは出ていない。1927年(昭和2年)になり主計特務大尉から士官たる主計少佐に昇進したものが現れた。1934年(昭和9年)に整備科を設けた際に海軍武官任用令を改正し、特務大尉及び航空特務大尉は少佐に、機関特務大尉及び整備特務大尉は機関少佐に、主計特務大尉は主計少佐に特選により各これを任用することができるとした[注 9]。当初は、予備役編入寸前に特進する名誉少佐であったが、1937年(昭和12年)に至り、現役中に昇進する者がでてきた。海軍消滅までに、戦死者を含め各科約1800名が少佐に昇進している。1938年(昭和13年)に工作科を設けた際に海軍武官任用令を改正し、機関特務大尉及び整備特務大尉に加えて工作特務大尉も機関少佐に特選により各これを任用することができるとした[49]。1942年(昭和17年)の海軍武官官階改正に伴い海軍武官任用令を改正し、軍楽少佐及び衛生少佐の特選に関する規定を設けて、特務士官である各科大尉は特選により当該科の少佐にこれを任用することができるとした[50]。また、1942年(昭和17年)に、兵科2名、機関科1名の現役中佐への昇進者がでた。

1944年(昭和19年)に海軍武官任用令を改正し、飛行予科練習生出身(操縦練習生・偵察練習生出身者を含む)の特務士官たる大尉は特選により士官たる大尉にこれを任用することができるとした[注 10]。その後、1945年(昭和20年)の海軍武官任用令改正により、飛行予科練習生出身の兵科特務士官は中尉、少尉も特選により同官等の兵科士官にこれを任用することができるよう制度が拡充した[52]。しかし適用をうけられたのは大尉への任用のみで10名に満たない。戦後の自衛隊では旧日本軍の予科練制度を航空学生として引き継いでいるが特務士官制度は廃止したため、防大や一般大学の卒業者との区別なく幹部候補生学校で教育を受け幹部となる。ただし、一般幹部とは昇進のスピードが違うなどのキャリアパスに格差が残っている。
他言語圏の陸軍の主な士官

英語圏の陸軍の主な単位
主な軍隊の編制およその人数主な指揮官司令官
firearm()3?4名corporal(伍長
squad(分隊
section(、大分隊)8?12名 sergeant(軍曹
platoon(小隊)15?30名second lieutenant(少尉
first lieutenant(中尉
company(中隊)80?150名captain(大尉)、 major(少佐
battalion(大隊
cohort(大隊)300?800名lieutenant colonel(中佐
regiment(連隊
brigade(旅団
legion(軍団)2,000?5,000名 colonel(大佐


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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