士官
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

このため1886年(明治19年)までの官階にては大佐・中佐を以てケピテン (Captain) に相当し、大尉・中尉を以てレフテナント (Lieutenant) に相当すると定めてきたところ[15] [19]、外国海軍で同一の官であるものが日本では異なる官名に別れていると外交上不都合が多いとして、1886年(明治19年)7月12日に大中佐を合わせ大佐とし大中尉を合わせて大尉とし大将以下7官名とした[20]。ただし、官等は陸軍武官及び文官との比較ができるように大佐は奏任一等二等とし大尉は奏任四等五等とした[21]。その後、海軍の技術が著しく進歩して軍艦に一大変遷を来したために、これを指揮・操縦する武官の責任の重さや資格及び待遇に著しい差が生まれたことから、1897年(明治30年)9月16日に責任の軽重に応じた資格あるものを補職できるように再び中佐及び中尉の官を置き職課に対する官階の適合を期した[22]
機関科詳細は「海軍機関科問題」を参照

明治初期は、直接戦闘に従事する高等武官(海軍兵学校出身者が中心)のみを将校として、それ以外(機関官を含む)は乗組文官であった。1872年(明治5年)に機関官などが武官に転換して士官となる。1906年(明治39年)の「明治39年1月26日勅令第9号」により、機関官の階級呼称を兵科のそれにならう(機関総監・機関大監・機関中監・機関少監・大機関士・中機関士・少機関士を、機関中将・機関少将・機関大佐・機関中佐・機関少佐・機関大尉・機関中尉・機関少尉と改める)。

1915年、大正4年12月2日勅令第216号により、機関官が機関将校(将校とは異なる区分)と改められる(この時点では将校・機関将校の2種が置かれる)。1920年(大正9年)に大正8年9月22日勅令第427号により「機関将校」及び「予備機関将校」が、「将校」に統合されて「将校」(機関科)及び「予備将校」(機関科)となる(機関科将校)。1924年(大正13年)に少将以上の兵科・機関科の区別を廃止する。1942年(昭和17年)に将校の兵科・機関科の区別を廃止する。

長らく、戦闘に直接従事する高等武官と、機関科に属する士官とを区別していたのは、有事の際に指揮権継承の優先権を軍令承行令に基いて、戦闘指揮の教育を受けている海軍兵学校出身者に与えるためであった。
特務士官

軍艦など高度な科学技術を用いて設計、製造、配備、操作、運用、整備される武器、装備品や機関を取り扱うため、海軍の下士官兵はそれら兵器類の取り扱いに習熟していなければならない。准士官の兵曹長が、砲術科、水雷科など各科での実務面のリーダーである掌砲長、信号長、電信長、掌整備長などになっていた[23] が、下士官からの叩き上げでは兵曹長より上には名誉進級か戦死に伴った昇進の場合を除いて進級できなかった。

日露戦争が終わると海軍は、棍棒外交方針により巨大な海軍力を建設しつつ太平洋へも進出を企てているアメリカを仮想敵国に定め、1907年(明治40年)に初度決定された帝国国防方針を元にした大建艦計画の一環として、1915年(大正4年)から八四艦隊案の予算化整備が始まる。増加する新鋭艦艇へいずれ下士官兵が多数必要となるが、要員の熟練度を上げる養成は短期間では不可能だった。それで下士官兵が習熟すべき実務に熟達している兵曹長をそのまま退役させるのではなく、陸軍にはない「特務士官」という独自の官階を新たに作って移し現役定限年齢も50歳に延ばして海軍に留めておこうとした。

特務士官は、実際は海軍兵学校を頂点とするエリート意識がアイデンティティである海軍の学閥偏重主義、学歴至上主義のため、叩き上げの優秀なエキスパートであっても将校とはされず、正規の士官より下位とされた[24]ため、時に『スペ公』という蔑称で呼ばれ、大田正一のように自身の意見が聞き入れられない事に不満を抱く者もいた。

軍令承行令での有事における指揮権の委譲では階級に関係なく
兵科将校

機関科将校

兵科予備士官

機関科予備士官

兵科特務士官

機関科特務士官

主計科士官

主計科予備士官

軍医科士官

薬剤科士官

歯科医科士官

の順であった。
制度の変遷

1897年(明治30年)12月1日に明治30年勅令第310号を施行して海軍武官官階表を改正したがこのときはまだ特務士官の名称がなく、士官の欄に海軍兵曹長、海軍軍楽長、海軍船匠長、海軍機関兵曹長、海軍看護長、海軍筆記長を加え、少尉と同等(高等官八等:奏任)とした[注 3]。明治30年勅令第313号により海軍高等武官進級条令を改正し、兵曹長及び機関兵曹長は特選により中尉及び中機関士に進級させることができるとした[28]。明治30年勅令第314号海軍高等武官補充条例を定め、この条例で兵曹長相当官と称するのは軍楽長・船匠長・機関兵曹長・看護長及び筆記長を言い、海軍兵曹長及びその相当官は現役准士官中技量抜群であって実役停年6箇年を超えた者より選抜任用するとした[注 5]

1915年(大正4年)12月15日、大正4年勅令第216号を施行して改正した別表の海軍武官官階表では、海軍兵曹長、海軍機関兵曹長、海軍軍楽長、海軍船匠長、海軍看護長、海軍筆記長についてこれに特務士官なる名称を設けた[31] [注 6]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:79 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef