士官
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それまでの運用科、工作科と機関科の電気部門、補助機械部門を統合)長についた[12]。技術科士官は造船科、造機科(艦船のエンジン)、造兵科(兵器)、水路科の4科の士官を総括していう。大学令による大学(主として東京帝国大学)の工学部、理学部在学中の学生から試験で採用、海軍学生または海軍委託学生として毎月一定の手当てを支給。卒業と同時に造船中尉、造兵中尉に任官する。1942年(昭和17年)11月、前述の4科は技術科に一本化、官職名は海軍技術中尉になった。

このほか、主計科・軍医科薬剤科歯科医科法務科看護科軍楽科も「将校」でなく「将校相当官」である(時期により異なる)。

兵科士官のみが「将校」とし、その他の科に属する士官は「将校相当官」とし、指揮権はなく、昇進も中将どまりである。なお、1904年(明治37年)以降は、東京高等商船学校や神戸高等商船学校の生徒について入校即日に海軍予備生徒(海軍予備員)に任じ、卒業後は予備少尉あるいは予備機関少尉に任官させた。高等商船学校生徒は、在校中、海軍砲術学校に6ヶ月間入校し初級予備士官としての教育を受けた。予備士官は、制度上は最終的に大佐まで昇進できるようになっていた。これらは海軍の兵科・機関科の関係の変遷や階級呼称の変遷に伴い、それに準じて制度が改正された。

海軍士官の階級・兵科将校(兵科将校という表現は厳密には1920年-1942年(大正9年-昭和17年)のみ用いられている)の場合:大将-中将-少将-大佐-中佐-少佐-大尉-中尉-少尉-少尉候補生

昭和期の海軍においては、習慣的な呼称として大佐を“だいさ”、大尉を“だいい”と呼ぶことがあった[注 1]。ただし、大将は陸軍と同じ“たいしょう”であった。大将のみ“たいしょう”と読む理由は、司令官たる大佐(本来は少将ポストだが今後昇任予定、もしくは特例による大佐)が座乗する旗艦については少将旗ではなく代将旗(だいしょうき)を掲揚するので、これと大将とを混同しないようにするためである。

1870年(明治3年)から日本の海軍はイギリス海軍の兵制を斟酌して編制してきたが[14]1912年以前のイギリス海軍には中佐及び中尉に相当する官が無く、各国海軍の官制でも大将(アドミラル)以下少尉(サブリフテナント)までを7官階とするものが多かった[15] [注 2]。このため1886年(明治19年)までの官階にては大佐・中佐を以てケピテン (Captain) に相当し、大尉・中尉を以てレフテナント (Lieutenant) に相当すると定めてきたところ[15] [19]、外国海軍で同一の官であるものが日本では異なる官名に別れていると外交上不都合が多いとして、1886年(明治19年)7月12日に大中佐を合わせ大佐とし大中尉を合わせて大尉とし大将以下7官名とした[20]。ただし、官等は陸軍武官及び文官との比較ができるように大佐は奏任一等二等とし大尉は奏任四等五等とした[21]。その後、海軍の技術が著しく進歩して軍艦に一大変遷を来したために、これを指揮・操縦する武官の責任の重さや資格及び待遇に著しい差が生まれたことから、1897年(明治30年)9月16日に責任の軽重に応じた資格あるものを補職できるように再び中佐及び中尉の官を置き職課に対する官階の適合を期した[22]
機関科詳細は「海軍機関科問題」を参照

明治初期は、直接戦闘に従事する高等武官(海軍兵学校出身者が中心)のみを将校として、それ以外(機関官を含む)は乗組文官であった。1872年(明治5年)に機関官などが武官に転換して士官となる。1906年(明治39年)の「明治39年1月26日勅令第9号」により、機関官の階級呼称を兵科のそれにならう(機関総監・機関大監・機関中監・機関少監・大機関士・中機関士・少機関士を、機関中将・機関少将・機関大佐・機関中佐・機関少佐・機関大尉・機関中尉・機関少尉と改める)。

1915年、大正4年12月2日勅令第216号により、機関官が機関将校(将校とは異なる区分)と改められる(この時点では将校・機関将校の2種が置かれる)。1920年(大正9年)に大正8年9月22日勅令第427号により「機関将校」及び「予備機関将校」が、「将校」に統合されて「将校」(機関科)及び「予備将校」(機関科)となる(機関科将校)。1924年(大正13年)に少将以上の兵科・機関科の区別を廃止する。1942年(昭和17年)に将校の兵科・機関科の区別を廃止する。

長らく、戦闘に直接従事する高等武官と、機関科に属する士官とを区別していたのは、有事の際に指揮権継承の優先権を軍令承行令に基いて、戦闘指揮の教育を受けている海軍兵学校出身者に与えるためであった。
特務士官

軍艦など高度な科学技術を用いて設計、製造、配備、操作、運用、整備される武器、装備品や機関を取り扱うため、海軍の下士官兵はそれら兵器類の取り扱いに習熟していなければならない。准士官の兵曹長が、砲術科、水雷科など各科での実務面のリーダーである掌砲長、信号長、電信長、掌整備長などになっていた[23] が、下士官からの叩き上げでは兵曹長より上には名誉進級か戦死に伴った昇進の場合を除いて進級できなかった。


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