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仏教での死は穢れではないとして、葬儀後の清めの塩を使わない仏教宗派も多くある[58]。沖縄県の宮古島では神道や仏教ではないが、土地の習慣で海でお祓いをする儀式の時に塩を用い、また、清めの意味で玄関などに袋入りの塩を置く。さらに、相撲においては、取組み前に塩を使って土俵を清める。これは、神道思想に基づくものであるが、同時に塩による殺菌効果もある[59]。また、家に来た嫌な客が帰った後に、清めるのはもちろん二度と家に来ないようにと玄関に塩をまくこともある。塩をまいたり、後述の盛り塩をしたりするのは悪霊ばらいの意味もある。古来よりも殺菌・洗浄効果のある身近な化学物質として用いられ、清め塩同様に穢れを祓い清めることに用いられることがあった。
敵に塩を送る
内陸国である甲斐武田信玄と日本海に面した越後上杉謙信は当時交戦中であった。その最中、当時甲斐に塩を供給していた駿河の今川氏は武田氏と反目し始め、甲斐への塩の輸出を絶ってしまう。それを知った謙信は、永禄11年1月11日(1568年2月8日)に、越後の塩を送ったとされている。敵対国であるにも拘らず、塩を送った謙信の行為は高く評価され後世に伝わった。ここから「敵に塩を送る」(敵対する相手に援助を差し伸べること)という言葉が生まれた。長野県松本市中央の本町にはその時塩を積んだ牛をつないだという「牛つなぎ石」が残っている。もっとも歴史学的には創作とみられている。
塩の道
日本の塩を運んだ道。
手塩に掛ける
自分自身の手で大切に育て上げること。近年では加工食品などを丁寧に作る時などにも用いる。類似する言葉として「腕に縒りを掛ける」「丹精を込める」「手間隙掛ける」などがある。手塩とは、食膳に清めとしてや好みの塩加減にするために盛られた塩のことで、その塩で味の調整をすることを手塩に掛けると言ったのが語源である。
日本手話の塩
日本人は、かつて塩で歯を磨いていたことに由来する。
盛り塩
日本国内で飲食店など第三次産業の店舗入り口に塩を盛り付けておく慣習で、客を集める縁起担ぎであり、又、厄除け、魔除けの意味も持つ。確証は無いが、由来は一般には西晋武帝(司馬炎)の故事にあるともいわれる。司馬炎は毎晩羊に引かせた車に乗って後宮を巡り、羊が立ち止まった部屋の女性と一夜をともにすることにしていた。あるとき数日続けて同じ部屋の前で羊が足を止めることがあった。その部屋に住んでいる女性が通路に盛り塩を置いておき、羊は塩を舐めるためにそこに立ち止まったという。
塩責め
塩を使った拷問ことわざに「傷口に塩」があり、痛む上に塩を塗るの意[60]。『万葉集』巻第五「雑歌」896番に「諺に曰く、痛き傷に塩をそそき、短き材(き)の端をきるという」とあり、古代から傷口に塩を塗る行為の認識は見られる。
焼き塩
精製度の低い食塩には塩化マグネシウム(にがり)が含まれ、湿気を吸って潮解する。煎って酸化マグネシウムとすることで苦みと吸湿性のない焼き塩となる。こういった特性をネタにした落語、泣き塩がある。湿っぽい話に、焼き塩屋もつられて泣いて、塩も泣き塩(実は元から質が悪く泣き塩だった)になってしまうというオチ。
日本以外
塩の柱
創世記第19章において、悪徳都市ソドムとゴモラが滅ぼされる際、神の使いが脱出するロトの家族に振り返るなと告げたが、ロトの妻は振り返ってしまい(見るなのタブー)、「塩の柱」となってしまったという記述がある。
地の塩
マタイによる福音書には「地の塩、世の光」を規範として述べている部分がある。ほか、マルコによる福音書ルカによる福音書に記述がある。塩は腐敗を防ぐことから、道徳や行いの優れた、社会の規範となるべき人々を示す比喩。
塩の契約(英語版)
神と人との間に結ばれた朽ちる事のない永遠の契約。民数記「イスラエルの人々が、主にささげる聖なる供え物はみな、あなたとあなたのむすこ娘とに与えて、永久に受ける分とする。これは主の前にあって、あなたとあなたの子孫とに対し、永遠に変らぬ塩の契約である」[61]歴代志「あなたがたはイスラエルの神、主が塩の契約をもってイスラエルの国をながくダビデとその子孫に賜わったことを知らないのか。」[62]
独立の塩
1930年マハトマ・ガンディー並びに彼の支持者が、イギリス植民地インド政府による塩の専売に反対し、製塩を行うための抗議行動のために「塩の行進」を行う。インド独立運動におけるガンディーの非暴力不服従の象徴とされる。
塩と友好
パンと塩は、慣習としてロシアやその他のスラヴ諸国で来訪客の歓迎に振舞われる食べ物である。戦地から帰ってきた兵士や、ロシアの大地に到着・着陸した宇宙飛行士などにも振舞われる。この伝統は宇宙にも波及し、ミール宇宙ステーションに到着した宇宙飛行士にも塩タブレットクラッカーのパックが振舞われ、国際宇宙ステーションにも伝統は引き継がれた[63]アラブ世界では、一緒に食べることによって同盟・和解を象徴する食べ物である[64]ユダヤの文化でも歓迎の意味で振舞われたり、キッドゥーシュ(安息日)にパンに塩を付けて食す習慣がある。塩だけでも、古来のアラビアでは分け合うだけで神聖な友誼を交わしたこととなる。千夜一夜物語の中には、盗人が転んだ拍子に岩塩を舐めてしまい、塩をもらったよしみで盗んだ物を置いて帰る話がある。逆パターンに『アリババと40人の盗賊』では、油商人に化けた盗賊の頭がこれから殺す予定のアリババの家に泊まった際に「料理に塩を入れないでくれ」と頼み、疑問に思った調理担当のモルジアナが上述のしきたり(塩の入った料理をふるまわれる=仲間になる)を思い出して疑う展開がある。また、中東には「塩を裏切る」という表現で「主人を裏切る」という意味があり、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』で塩を倒すのが裏切りを暗示しているとされる[65]
パンと塩と石炭
スコットランドを含むイギリス北部では、正月(ホグマネイ)に、お客が「パンと塩と石炭」(パンは食べ物、石炭燃料、塩は健康の、それぞれに困らないようにという縁起を担いでいる)を持ってくる習慣がある(他に、ウィスキーフルーツケーキなどの縁起物も土産に持ってくる処もある)。
塩と身分
英語の慣用句に上座を意味する「above the salt」(塩の上流)がある。これは中世の食卓中央に塩が置かれ、その近くにホストが座っていたことから付いた。同様に塩が渡される方向である「below the salt」(塩の下流)は下座である。
塩土化
征服した街や土地に二度と人が住めない土地とするために塩をまく呪いの儀式古代近東で生まれ、中世のさまざまな民話のモチーフとなった。塩分を含んだ土で育つ植物がほとんどないことを元にした儀式であるが、実際に土地が利用不可能になるほど大量の塩がまかれた例は確認されていない。ローマ帝国第三次ポエニ戦争カルタゴを滅ぼした際、カルタゴ市を塩土化したという記述が知られる。
塩取引(ドイツ語版)
塩を通貨とする取引。ローマの政治家カッシオドルスは「黄金を欲しがらない人はいるが、塩を欲しがらない人なんていない」という名言を残している。ローマの兵士は塩を給料とするサラリーで働いた。日本でも平安時代には、春秋に賞与として塩が与えられた[66]。マヤ文明でも塩は貨幣として利用された[67]。フランス王国や中国唐代、そして日本などにおいては塩の取引を専売制に変え、塩税をかけて国家の財政を支えてきた(塩鉄論、塩引法(中国語版)、日本専売公社、インドにおけるイギリスの塩税(英語版)、Salzregal(ドイツ語版))。しかし、高い税制と占有は市民の怒りともなりフランス革命やインドの独立運動の原因の一つともなった[68]。また、このような高い税がかけられると密輸も行われるようになった。フランスでは、イタリアから塩を密輸する密輸業者を faux sau(l)niers 等と呼び、税関職員であるGabelou(フランス語版)が取り締まりを行った。中国では、塩梟(えんきよう)、塩賊などと呼ばれる密輸業者や海賊による密輸が行われた[69]。それとは別に、天日塩と煎熱塩でも価格差が生じやすく、韓国では安価な天日塩で作られた中国産が関税がかからないよう密輸され、韓国国内の塩製造業界は存亡の危機にさらされた[70]
塩に関わる土地
イギリスの-wich town(英語版)、ドイツのHall (Ortsname)(ドイツ語版)・Salz・Soden、オランダ語のZoutは塩の生産拠点に多い地名である。そのほかにも、トルコ語tuzから来たトゥズラ(トルコ語で塩の土地の意)など、塩が関連する地名は多い。
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