こういった塩入れは、塩が貴重だった時代のヨーロッパでは、上座の前にのみ置かれ、下位に渡されていくため、身分とステータスを示すものであったため豪華であった。その慣例から、慣用句 above the salt は上座に座っていることを示す[56]。 女房言葉では「波の花」とも呼ぶ。“死を”を連想させる忌み言葉のためである。 古代ローマにおいて、兵士への給料として塩(ラテン語 sal)が支給された。英語の salary (サラリー:「給与」)はここに由来している。後に塩を買う為の俸給がソリドゥス金貨で支払われるようになり、ソルジャー(英語: soldier)の語源となった。 食品に関する語彙には当然ながら「塩」に由来するものが多い。ラテン系由来の語彙に限っても、「サラダ(salad)」「ソース(sauce)」「サルサ(salsa)」「ソーセージ(sausage)」「サラミ(salami)」などは明らかである。 英語の salt (ソルト:塩)はラテン語に由来するわけではないが、より古いインド・ヨーロッパ語の基層において同じ語源につながる語であり、この事実自体、先史時代以来、塩がいかに身近で重要なものだったかを示していると言える。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
調味料シェイカーに入った食塩
Cellini Salt Cellar(英語版)
16世紀、神聖ローマ帝国帝都ニュルンベルクのソルトセラー
フランスの椅子。チェスト部が塩の収納スペースとなっていた。
フランス王家が管理していた塩蔵(Grenier a sel)
フランスのソルトボックス
スペインの陶器製塩入れ
動物の角で作られたシェイカー
ソルトピッグ(英語版)
塩の表現
日本語
英語など
塩が関係する言葉・故事・慣例など
出典検索?: "塩"
五十音順で表記。
日本日本手話の塩:塩で歯を磨く動作から。
御塩
伊勢神宮での神事に用いられる塩は、塩田で作られた後、御塩殿神社にあるかまどで焼き堅められる。
清め塩
日本神道で塩は、穢れを祓い清める力を持つとみなす。そのため祭壇に塩を供えたり、神道行事で使用する風習がある[57]。また、日本においては死を穢れの一種とみなす土着信仰がある。そのため葬儀後、塩を使って身を清める風習がある。仏教での死は穢れではないとして、葬儀後の清めの塩を使わない仏教宗派も多くある[58]。沖縄県の宮古島では神道や仏教ではないが、土地の習慣で海でお祓いをする儀式の時に塩を用い、また、清めの意味で玄関などに袋入りの塩を置く。さらに、相撲においては、取組み前に塩を使って土俵を清める。これは、神道思想に基づくものであるが、同時に塩による殺菌効果もある[59]。また、家に来た嫌な客が帰った後に、清めるのはもちろん二度と家に来ないようにと玄関に塩をまくこともある。塩をまいたり、後述の盛り塩をしたりするのは悪霊ばらいの意味もある。古来より灰も殺菌・洗浄効果のある身近な化学物質として用いられ、清め塩同様に穢れを祓い清めることに用いられることがあった。
敵に塩を送る
内陸国である甲斐の武田信玄と日本海に面した越後の上杉謙信は当時交戦中であった。その最中、当時甲斐に塩を供給していた駿河の今川氏は武田氏と反目し始め、甲斐への塩の輸出を絶ってしまう。それを知った謙信は、永禄11年1月11日(1568年2月8日)に、越後の塩を送ったとされている。敵対国であるにも拘らず、塩を送った謙信の行為は高く評価され後世に伝わった。ここから「敵に塩を送る」(敵対する相手に援助を差し伸べること)という言葉が生まれた。長野県松本市中央の本町にはその時塩を積んだ牛をつないだという「牛つなぎ石」が残っている。もっとも歴史学的には創作とみられている。
塩の道
日本の塩を運んだ道。
手塩に掛ける
自分自身の手で大切に育て上げること。近年では加工食品などを丁寧に作る時などにも用いる。類似する言葉として「腕に縒りを掛ける」「丹精を込める」「手間隙掛ける」などがある。手塩とは、食膳に清めとしてや好みの塩加減にするために盛られた塩のことで、その塩で味の調整をすることを手塩に掛けると言ったのが語源である。
日本手話の塩
日本人は、かつて塩で歯を磨いていたことに由来する。
盛り塩
日本国内で飲食店など第三次産業の店舗入り口に塩を盛り付けておく慣習で、客を集める縁起担ぎであり、又、厄除け、魔除けの意味も持つ。確証は無いが、由来は一般には西晋の武帝(司馬炎)の故事にあるともいわれる。司馬炎は毎晩羊に引かせた車に乗って後宮を巡り、羊が立ち止まった部屋の女性と一夜をともにすることにしていた。あるとき数日続けて同じ部屋の前で羊が足を止めることがあった。その部屋に住んでいる女性が通路に盛り塩を置いておき、羊は塩を舐めるためにそこに立ち止まったという。
塩責め
塩を使った拷問。ことわざに「傷口に塩」があり、痛む上に塩を塗るの意[60]。『万葉集』巻第五「雑歌」896番に「諺に曰く、痛き傷に塩をそそき、短き材(き)の端をきるという」とあり、古代から傷口に塩を塗る行為の認識は見られる。
焼き塩
精製度の低い食塩には塩化マグネシウム(にがり)が含まれ、湿気を吸って潮解する。煎って酸化マグネシウムとすることで苦みと吸湿性のない焼き塩となる。こういった特性をネタにした落語、泣き塩がある。湿っぽい話に、焼き塩屋もつられて泣いて、塩も泣き塩(実は元から質が悪く泣き塩だった)になってしまうというオチ。
日本以外
塩の柱
創世記第19章において、悪徳都市ソドムとゴモラが滅ぼされる際、神の使いが脱出するロトの家族に振り返るなと告げたが、ロトの妻は振り返ってしまい(見るなのタブー)、「塩の柱」となってしまったという記述がある。
地の塩
マタイによる福音書には「地の塩、世の光」を規範として述べている部分がある。ほか、マルコによる福音書、ルカによる福音書に記述がある。塩は腐敗を防ぐことから、道徳や行いの優れた、社会の規範となるべき人々を示す比喩。
塩の契約(英語版)
神と人との間に結ばれた朽ちる事のない永遠の契約。民数記「イスラエルの人々が、主にささげる聖なる供え物はみな、あなたとあなたのむすこ娘とに与えて、永久に受ける分とする。これは主の前にあって、あなたとあなたの子孫とに対し、永遠に変らぬ塩の契約である」[61]。歴代志「あなたがたはイスラエルの神、主が塩の契約をもってイスラエルの国をながくダビデとその子孫に賜わったことを知らないのか。」[62]。
独立の塩
1930年にマハトマ・ガンディー並びに彼の支持者が、イギリス植民地インド政府による塩の専売に反対し、製塩を行うための抗議行動のために「塩の行進」を行う。インド独立運動におけるガンディーの非暴力不服従の象徴とされる。
塩と友好
パンと塩は、慣習としてロシアやその他のスラヴ諸国で来訪客の歓迎に振舞われる食べ物である。戦地から帰ってきた兵士や、ロシアの大地に到着・着陸した宇宙飛行士などにも振舞われる。この伝統は宇宙にも波及し、ミール宇宙ステーションに到着した宇宙飛行士にも塩タブレットとクラッカーのパックが振舞われ、国際宇宙ステーションにも伝統は引き継がれた[63]。