塩竈市
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(65.8)13.0
(55.4)7.1
(44.8)15.9
(60.6)
日平均気温 °C (°F)0.9
(33.6)1.3
(34.3)4.4
(39.9)9.6
(49.3)14.6
(58.3)18.3
(64.9)22.0
(71.6)23.5
(74.3)20.3
(68.5)14.8
(58.6)8.8
(47.8)3.4
(38.1)11.8
(53.2)
平均最低気温 °C (°F)?2.1
(28.2)?2.0
(28.4)0.5
(32.9)5.4
(41.7)10.8
(51.4)15.2
(59.4)19.3
(66.7)20.7
(69.3)17.2
(63)11.2
(52.2)5.0
(41)0.2
(32.4)8.4
(47.1)
最低気温記録 °C (°F)?9.6
(14.7)?9.5
(14.9)?6.2
(20.8)?2.8
(27)0.5
(32.9)7.9
(46.2)11.1
(52)12.9
(55.2)6.9
(44.4)2.2
(36)?3.1
(26.4)?7.8
(18)?9.6
(14.7)
降水量 mm (inch)38.3
(1.508)31.8
(1.252)71.2
(2.803)87.9
(3.461)101.8
(4.008)130.0
(5.118)170.2
(6.701)130.5
(5.138)172.1
(6.776)140.2
(5.52)60.3
(2.374)40.6
(1.598)1,175
(46.26)
平均降水日数 (?1.0 mm)6.05.87.58.49.411.013.811.111.28.56.56.5105.9
平均月間日照時間153.5161.1182.4193.1190.1145.3134.9149.8135.0144.8143.3133.21,871.3
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[6]

人口

平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、4.08パーセント減の54,187人であり、増減率は県下35市町村中17位。40行政区域中22位。世帯数は21,658世帯(2005年2月28日)。


塩竈市と全国の年齢別人口分布(2005年)塩竈市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 塩竈市
■緑色 ― 日本全国■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
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現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。

塩竈市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

隣接自治体
宮城県


多賀城市

宮城郡利府町

宮城郡七ヶ浜町

歴史鹽竈神社の拝殿。
古代

陸奥国国府(およびのちの鎮守府 (古代))が現在の宮城県仙台市太白区の郡山城(郡山遺跡)から多賀城市に遷った頃、陸奥国府の国府の港である国府津(こうづ)が塩竃市に造られた。これは現在の塩釜市香津地区にあたると言われる。現在の香津地区は塩釜港より内陸にあるが、古代には入り江が二つ、深く入り込み、南側の入り江に国府津があった。北側の入り江の北側に、海に面して鹽竈神社(しおがまじんじゃ)があった。港町と鹽竈神社は海を隔てて少々距離があったことになる。

奈良時代に陸奥国の国府(および鎮守府)が仙台市の郡山城(郡山遺跡)から鎮守府を兼ねる多賀城に遷ると、現在の多賀城市の砂押川沿いの八幡地区が東北地方最大の街に発展した。町の名は神社からとられて塩竈となった。また、現在の宮城県七ヶ浜町も、国府兼鎮守府、多賀城へ海の幸を届ける供給拠点としてとして重要な存在であった。この奈良時代には中央で万葉集に代表される和歌が盛んにつくられ、塩釜市の千賀ノ浦や野田の玉川などは歌枕の地として都の貴族たちの憧れの地となった。

平安時代には、源氏物語の主人公,光源氏のモデルとなった嵯峨天皇王子源融左大臣、初代嵯峨源氏)が京都の自宅、六条河原院陸奥国国府兼鎮守府、多賀城に隣接する塩釜の風景(千賀ノ浦)を模した庭園を造ったことで有名である。塩釜の風景を模すための塩は、難波の海(大阪湾)の北(現在の尼崎市)の塩を運んだと伝えられる。
中世

塩竃は中世以降も多賀城の国府の港として鹽竈神社と港湾を中心に栄えが、鎌倉時代には現在の仙台市七北田川奥大道(現在の利府街道付近)が交差する交通の要衝,仙台市岩切地区が東北地方最大の商業地帯となった。

戦国時代(室町時代後期)には塩竈は留守氏の勢力圏にあり、留守氏が鹽竈神社の神人組織を自らの家臣団にした。伊達氏から留守氏へ養子に入った留守政景の代になって、留守氏は実質的に伊達氏の領国の中に取り込まれた。天正18年(1590年)に伊達政宗が豊臣秀吉に服属したとき、留守氏も政宗を通じて間接的に服したはずだったが、秀吉は政景を自分に帰参しない独立大名とみなして取り潰した。政宗が政景に磐井郡黄海に2万石を割いて家臣にしたとき、留守氏の家臣はこれに従って移り住んだ。
近世

慶長5年(1600年12月24日1601年1月28日)に政宗が仙台城の築城を開始して、後まで続く仙台藩領の形が定まった。これ以降1871年廃藩置県まで、現在の塩竈市域を含む宮城郡は仙台藩の一部となった。

江戸時代、歴代の仙台藩主は鹽竈神社を厚く保護した。そのため、鹽竈神社は大いに栄えた。 また、塩竈は仙台市の外港として発展した。しかし、塩竈から仙台まで舟入堀と舟曳堀が引かれて物資が塩釜を素通りするようになると、衰微しかけた。鹽竈神社を尊崇した伊達綱村は事態を憂えて、1685年に塩竈から課役を免除し、米以外の産物に塩竈への着岸を義務付けた。これによって町は活気を取り戻した。
近代

明治時代のはじめに塩竈は人口約3500人を数えた。1887年明治20年)に、今の東北本線の前身にあたる日本鉄道は、埠頭と直結する塩竈駅(現在の塩釜駅とは別)まで線路を敷いた。このことで、宮城県、あるいは東北地方における陸海の物流の結節点となり、流通業が大きく発展した。そして、のちにカメイやまやなどの宮城県を代表する企業が生まれた。1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い宮城郡塩竈町が発足した。

1910年(明治43年)に塩釜港は第二種港湾に指定され、港湾設備の整備が進んでいった。それまで気仙沼宮古釜石といった三陸沿岸諸都市との間に就航していた定期船に加えて、1928年(昭和3年)には函館釧路といった北海道航路の定期船も就航した[7]
近現代1960年(昭和35年)のチリ地震に伴う津波による被害の様子。
昭和(戦前)

1938年昭和13年)9月1日多賀城村七ヶ浜村の一部を編入した。太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)11月23日市制施行し、塩竈は日本国内で187番目、宮城県内で3番目の市となった。市では記念事業として東京日日新聞(現在の毎日新聞東京本社)仙台支局と合同で市章と『塩竈市民歌』の歌詞を募集しており[8]、市章は戦中の1942年(昭和17年)4月1日に制定された[9]
昭和(戦後)

終戦後の 1947年(昭和22年)8月6日、昭和天皇の戦後巡幸


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