また、韓非は、「韓非子」において、堯が名君で民を良く治めていたとすれば、舜が悪きを改め、良い立派な行いをして人々を助けるということはそもそも起こりえない。一方が立派な人物だとすれば他方はそうではなくなってしまう。したがって、両方の者が同じく最高の人物で、理想的な政治を行ったというのは話が合わず、あり得ないとした。この例え話として、今日でも使われる故事成語、「矛盾」が使われたのである。 堯の御世も数十年、平和に治まっていた。堯はあまりの平和さに、天下が本当に治まっているか、自分が天子で民は満足しているか、かえって不安になった。そこで、目立たぬように変装して家を出て自分の耳目で確かめようとした。ふと気がつくと子供たちが、堯を賛美する歌を歌っていた。これを聴いた堯は、子供たちは大人に歌わされているのではないかと疑って真に受けず、立ち去った。ふと傍らに目をやると、老百姓が腹を叩き、地を踏み鳴らしながら(鼓腹撃壌)楽しげに歌っている。 原文書き下し文現代語訳 日出而作 日出でて作(な)し、 日の出と共に働きに出て、 この歌を聴いて堯は世の中が平和に治まっていることを悟った、とされる(『十八史略』)。
鼓腹撃壌
日入而息
鑿井而飲
耕田而食
帝力何有於我哉
日入りて息(いこ)ふ。
井を鑿ちて飲み、
田を耕して食らふ。
帝力何ぞ我に有らんや。
日の入と共に休みに帰る。
水を飲みたければ井戸を掘って飲み、
飯を食いたければ田畑を耕して食う。
帝の力がどうして私に関わりがあるというのだろうか。
出典^ 御手洗勝『古代中國の神々』創文社1984年、455頁。
^ 『史記』「五帝本紀第一」、吉田賢抗『史記』一の36頁。
^ 「学習漫画 中国の歴史 人物事典」2008年10月8日発行、監修・春日井明、12頁。
^ 『史記』「五帝本紀第一」、吉田賢抗『史記』一の37頁。
^ 『史記』「五帝本紀第一」、吉田賢抗『史記』一の38-39頁。
^ 『史記』「五帝本紀第一」、吉田賢抗『史記』一の41-42頁。
^ 『史記』「五帝本紀第一」、吉田賢抗『史記』一の41-44頁。
^ 『史記』「五帝本紀第一」、吉田賢抗『史記』一の44-50頁。
^ 韓非子 五蠹
参考文献
吉田賢抗『史記』一(本紀)(新釈漢文大系)、明治書院、1973年。
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