71 後三条天皇
72 白河天皇 実仁親王 輔仁親王 篤子内親王
73 堀河天皇
叔母で19歳年長である中宮・篤子内親王との間には皇子女が誕生せず、父の白河院の差配のもとに白河院の従妹に当たる藤原苡子を女御とし、その間に皇子の宗仁親王(鳥羽天皇)が生まれた。苡子は産後まもなく死去したため、宗仁親王は白河院に引き取られてその下で養育された。
中宮:篤子内親王(1060年 - 1114年) - 後三条天皇第四皇女
女御(贈皇太后):藤原苡子(1076年 - 1103年) - 藤原実季女
宗仁親王(鳥羽天皇)(1103年 - 1156年)
典侍:仁子女王
陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市右京区竜安寺朱山の龍安寺内にある後圓教寺陵(後円教寺陵:のちのえんきょうじのみささぎ)に治定されている[7]。宮内庁上の形式は円丘。同じ朱山にある一条天皇陵と同域である。
また皇居では、宮中三殿のひとつの皇霊殿において他の歴代天皇や皇族とともに堀河天皇の霊が祀られている。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 「弦管歌詠之遊、天性所授、不愧往古」[5]
^ 「近来ノ上手ハ堀河院ニ御ナリ。全ク比類ナシ。誠ニ言語ノ及ブトコロニアラズ。」[6]
^ 『今鏡』『和歌色葉集