次第にテレビ番組のナレーションやレポーターなどの仕事もするようになり[15]、知り合ったテレビ局プロデューサーに「役者になった方が面白いかもしれない」、「声優になれ」と言われる[12][9]。当初は断っていたが、次第に興味を惹かれるようになり、たてかべ和也のオフィス央を紹介され、所属[12][9]。たまたま受けたオーディションに合格し[12]、特撮番組『アンドロメロス』のアンドロウルフ役(1983年)でデビューした[3]。
声優業を開始した当初については、素人同然で声優になったため、無我夢中で演じても全く上手くいかず毎回居残り練習の連続だったと言い、「地獄だった」と当時を振り返る[12][15][9]。そこで山之内雅人に師事し、仕事をしながら演技を学んだ[12]。また当時はあまりの下手さに多数の監督たちから指導されたが、「今の堀内を造ったのは自分だ」と思ってくれている人が10人以上いるとのこと[12]。
1984年3月[16]に、オフィス央と合併したぷろだくしょんバオバブ[2]に移籍[17]。
古田信幸から「勉強会のつもりでやってみないか」と声を掛けられ、2001年[18]からワークショップ「talk back」を主宰。バオバブとの契約は20年となっており、契約切れになったらフリーになろうと思っていたが、ワークショップで出会った人たちをどうにかできないかと考え、独立して2002年5月[18]にケンユウオフィスを設立し、その代表取締役に就任した[9][19]。 2012年、第6回声優アワード「富山敬賞」を受賞[20]。 自身の声の特徴について、日曜洋画劇場『ホステージ』のアフレコ時のコメントでは、「軽やかな優しい」声と評している[21]。役柄としては、甘い声を生かした正統派の二枚目役[11]から三枚目役[2]を多く演じる。 二枚目と三枚目の役柄が合っているというような区切りはつけたくないという[13]。その作品にスッと入っていけて、楽しく演じたらよく、どんな役がきても、与えられたら一生懸命演じ、堀内の中でいつもニュートラムな部分は絶対に残しておきたいという[13]。ただし、三枚目役を演じると周囲が笑ってくれるのが嬉しいという[13]。 外国映画や海外ドラマなどでの吹き替えを中心としており、主な担当俳優は専属(フィックス)[22]のブラッド・ピット(本人公認[23][24][25][26][27][28][29][30][31][32])をはじめ[33]、チャーリー・シーン[14]やベン・スティラー、ベン・アフレック、アイアン・ジーリング、レオン・カーフェイ、ブレンダン・フレイザー、クライヴ・オーウェン、ジョン・ステイモスなどが挙げられる。
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