旧律令国においては、現在の埼玉県の領域は大部分が武蔵国に含まれており、東端部の江戸川沿いの一部地域が下総国に含まれていた。武蔵国には東京都、および神奈川県の北東部も含まれることから、埼玉県は武蔵国の中部・北部にあたると言える。
埼玉県の形状は東西約103km、南北約52kmと東西方向に長い。日本の都道府県中面積が9番目に狭いが、最も狭い都道府県である香川県の約2倍の面積を有する。また周囲は7都県と隣接し、長野県の8県に次いで多い。
県の東側では江戸川を境に千葉県に接し、北東側には茨城県・栃木県ともわずかに接する。北側および北西側はおおむね利根川、神流川(利根川の支流)といった河川、および荒川・神流川の分水嶺を境として群馬県に接している。南側はほぼ東西に真っ直ぐに東京都・山梨県と接している。この南境は、西部では荒川と多摩川あるいは笛吹川の分水嶺にあたるが、東部では一部が荒川となっている他は河川や分水嶺などの地形に見いだすことは難しい。
埼玉県の地形は、児玉・小川・飯能を走る八王子構造線によって、その東側の平地部と西側の山岳部に分けられる。東側の平地部は古来利根川や荒川、入間川などの流域であり、低地や台地(北武蔵台地[5]、武蔵野台地、大宮台地など)が広がるほか、一部に丘陵(比企丘陵など)もみられる。江戸時代、徳川家康により現在の古利根川の流路に近かった利根川の流路は、渡良瀬川(現在の江戸川の流路に近い)、ついで鬼怒川(毛野川)に導かれ、また現在の元荒川の流路に近かった荒川の流路は入間川に導かれ、現在の河川形態となった(利根川東遷事業)。西側の山地部は関東山地に含まれ、その中央部に秩父盆地がある。秩父盆地東側の比較的標高の低い山塊は特に外秩父山地とも呼ばれる。西側の長野県境は日本海側との分水嶺を形成しており、その南端に位置する甲武信ヶ岳は千曲川、荒川、笛吹川(富士川の支流)の源流であるとともに、埼玉県・長野県・山梨県の県境となっている。その北には県最高峰である三宝山(2,483m)がある。
中央部・西部・東部の南側の地域は首都である東京に近く、近代以降の大都市圏の拡大に伴い、1970年代を中心に急激な人口流入と都市化をみてきた。このようにして形成された市街地は、その多くがスプロール現象によるものであり、このような地域では現在も道路などの社会基盤の整備に難を抱える。
県内は首都高速・東京外環道・関越・東北・常磐・圏央道といった高速道路が多数整備されているが、一般道については北部以外は十分に整備されていない地域が多く、自動車の増加や大規模商業施設の郊外立地化に伴い各地で道路渋滞が慢性・深刻化しており、混雑度は都道府県ワースト2位となっている(2021年度)[6]。
県内には全国最多となる40の市があり、130万人都市であるさいたま市を筆頭に50万人都市の川口市、30万人都市の川越市・所沢市・越谷市が南部に集中するほか、20万人都市が3市[注釈 1]、10万人都市が14市[注釈 2]と同等の人口を持つ自治体が多数存在することも特徴として挙げられる(2020年国勢調査時点)[7]。政令指定都市のさいたま市は合併前に旧浦和市と旧大宮市が業務核都市に指定されており、20世紀末に国などの関東地方出先機関が集まるさいたま新都心が誕生したことも重なり東京のベッドタウンでありながら関東地方において独自の重要性を持つ地域になりつつある。都営大江戸線の東所沢方面への延伸[8]や埼玉高速鉄道のさいたま市岩槻区方面への延伸[9]も構想されている。
埼玉県は、場面や分野に応じて北関東に区分される場合もあれば南関東に区分される場合もある。また、埼玉県は千葉県や東京都、神奈川県とともに「東京圏」を構成し、相互の通勤・通学などの流動が多いことなどを重視し、南関東に区分されることが多いが、衆議院議員総選挙における比例ブロックにおいては北関東に区分されている。 県東部は関東平野のほぼ中央部に位置しており、全体的に低地で平坦な土地が広がる。利根川の分流(派川)である江戸川と利根川水系の中川が流れている他、それらの支流も数多く流れている。河床勾配が緩く、蛇行している川も多数流れることから洪水が起きやすい地域であったが、首都圏外郭放水路や権現堂調節池(行幸湖)、大相模調節池などが建設され、現在も利根川中流と江戸川上流の堤防を拡幅強化する首都圏氾濫区域堤防強化対策などの治水事業が行われており、浸水被害は減ってきている。
地形