埼玉県(さいたまけん)は、日本の関東地方に位置する県。県庁所在地はさいたま市。 首都圏を構成し、都道府県別の人口は東京都、神奈川県、大阪府、愛知県に次ぐ全国第5位[1]。人口密度は東京都、大阪府、神奈川県に次ぐ第4位である[1]。県の財政力指数は全国第6位(2020年度)[1]。令制国の武蔵国の一部に相当する。面積は第39位(2022年10月)で[1]、可住地面積比率は第2位の規模である(2020年10月)[1]。村は、東秩父村の1村のみである。 県域は旧国名の武蔵国の北部であり、関東地方では神奈川県以外の1都4県に接する。また、中部地方では長野県、山梨県にも接する。隣に接する県の数は、長野県に次ぐ2位。日本で8つある内陸県の一つ。貿易港や臨海工業地帯を有さないものの、人口は約734万人と全国5位であり[1]、内陸県最多である。その多くは東京都23区に近接する県南東部に集中している。2020年国勢調査によると、昼夜間人口比率では、87.6%と昼間の人口流出が全国1位であり[1]、県南東部を中心に東京のベッドタウンとしての性質が強い(「埼玉都民」も参照)。農業産出額は第20位(2020年)である[1]が、北部には近郊農業が盛んな地域もあり、ネギやホウレンソウ、さといも、こまつな、かぶなど産出額が全国3位以内に入る農作物もある[2]。また、面積に占める河川の割合が多く、水の都と呼ばれる大阪府を抜き、全国47都道府県で最大の約3.9%となっている[3]。 県西部の秩父地域は山地や丘陵であるが、それ以外の地域は関東平野の一部を成す平地となっている。東京に隣接する東南部は人口が密集し、東京から放射状に伸びた交通網に沿って首都のベッドタウンが形成されている。東京都心方面への鉄道アクセスは優れるものの、県内を横断する鉄道路線はJR武蔵野線などに限られている。北部には豊かな農地が広がる。 県庁所在地であるさいたま市は内陸県にある最大の都市であり、内陸県唯一の政令指定都市でもある(市域のみが海に面していないものも含めると札幌市、京都市に次ぐ)。北海道地方、東北地方、北関東地方、信越地方、北陸地方に至る陸路の高速交通網は本県を通っている。なかでも新幹線など上記各地方からの主要鉄道網に関しては必ず本県の大宮駅(さいたま市大宮区、旧大宮市)を通過することから、大宮駅は本県の中心駅として認知されているだけではなく全国的にも巨大ターミナル駅として知られている。大宮地区は「鉄道の町」との異名のもと多くの人々が行き交い、活気ある街並みが形成されている。行政の中心は、かつて県庁所在地であった旧浦和市の浦和地区(浦和駅周辺)である。 明治維新の1869年(明治2年)1月28日、廃藩置県によって大宮県が設置されたが、県庁は暫定的に東京府馬喰町四丁目に置かれた。8か月後の同年9月には浦和県に改称し、さらに岩槻県、忍県と統合してできた旧埼玉県(現在の埼玉県の東側約3分の1)の設置当初、県庁が埼玉郡岩槻町(岩槻市、現:さいたま市岩槻区)に置かれる予定であったため、その郡名から埼玉県と名付けられた[4]。しかし、岩槻には県庁に適した建物が無く[4]、県庁業務は足立郡浦和宿(現:さいたま市浦和区)の旧浦和県庁舎で行われた。一方、現在の埼玉県の西側約3分の2に当たる地域は入間県となり、その後、群馬県と合併して熊谷県となるも僅か3年で熊谷県は解消され、旧入間県地域は旧埼玉県と合併して現在の埼玉県が誕生した。その際に、埼玉県の名称のまま県庁所在地も浦和宿となったため、岩槻町が実質的な県庁として機能することはなかった。1890年(明治23年)9月25日には、勅令により正式に北足立郡浦和町が県庁所在地となった。 「埼玉」の地名の発祥地は「埼玉郡埼玉(さきたま)村」(現:行田市大字埼玉)である。その名称の由来は諸説あるが、埼玉古墳群が由来とする説や、幸福をもたらす神の働きを意味する「幸魂(さきみたま)」から名づけられたとする説がある。奈良時代の『万葉集』に「前玉」「佐吉多万」(さきたま)という記述があり、また、平安時代の『和名類聚抄』に「埼玉」「佐伊太末」(さいたま)という郡名がみられ、その当時既に「さいたま」と呼ばれていることがわかる。
概要
名称