やがて、北条氏の権力が増大するにつれて、幕府の公的地位である執権よりも、北条一門の惣領に過ぎない得宗に実際の権力が移動していくことになる。得宗の5代執権時頼が、執権の座を6代執権長時に譲り出家し、依然として幕府内の権力を保持し続けたことが、得宗への権力移動の端緒となる。これ以降、得宗と執権が分離し、実際の権力は得宗がもつようになり、執権は名目上の地位となった。さらに、9代北条貞時が幼くして得宗と執権の両方を継承すると、得宗家に仕える御内人が貞時の補佐を名目として幕府の政治に関与するようになった。
貞時は平禅門の乱で内管領平頼綱を滅ぼし、自ら政務を執るようになるが、嘉元の乱以降政務を放棄するようになり、最高権力者であるはずの貞時が政務を放棄しても長崎氏らの御内人・外戚の安達氏、北条氏庶家などの寄合衆らが主導する寄合によって幕府は機能しており、得宗も皇族出身の将軍同様に装飾的な地位に祭り上げられる結果となった[5]。貞時の子北条高時の時代になると、執権も得宗も形骸化し、北条家の執事というべき内管領の長崎氏が権力を握るようになった。
近代になって龍粛が1922年(大正11年)に著した『尼将軍政子』の中で源実朝没後に執権が鎌倉幕府の実権を掌握してからの体制を執権政治(しっけんせいじ)と表現して以後、この語が広く用いられるようになった。ただし、近年では実朝の死後は北条政子が「尼将軍」として実権を掌握しており、執権政治への移行は政子の死後であるとする見方が出されている。また佐藤進一は執権政治期を2つに分け、後期を得宗専制(とくそうせんせい)とよぶことを提唱し、鎌倉時代後期の政治史・法制史研究の前提として定着した。ただし、得宗専制のはじまりについては歴史家の間でも議論が分かれている[6]。
なお、執権の多くは相模守に任官され、武蔵守に任官された事実上の副執権である連署と共に「両国司」(『沙汰未練書』)と呼ばれた[7]。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ ただし、征夷大将軍の位階が政所を設置できる従三位に到達していない時期には、政所が停止されているにもかかわらず執権は何ら制約を受けていないことから、鎌倉幕府の政所別当が執権を兼ねる例はあっても、2つの職は別の役職として切り離して考えるべきだとする考え方もある。また、北条泰時が執権だった時期には、叔父で連署の北条時房が筆頭の別当で泰時は次席の別当であったことも指摘されている[1]。
出典^ 長又高夫『御成敗式目編纂の基礎的研究』(汲古書院、2017年)P180-181・185
^ .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}"執権". 精選版 日本国語大辞典. コトバンクより2021年8月29日閲覧。
^ 近藤成一『鎌倉時代政治構造の研究』(校倉書房、2016年)P14-20
^ 長又高夫『御成敗式目編纂の基礎的研究』(汲古書院、2017年)P168-172・184-185
^ 細川重男『鎌倉幕府の滅亡』(吉川弘文館、2011年) P132-133
^ 漆原徹「書評 細川重男著『鎌倉政権得宗専制論』」(2002年、慶應義塾大学法学研究会)113-114p
^ 日本史史料研究会編『将軍・執権・連署 鎌倉幕府権力を考える』(吉川弘文館、2018年)P133
参考文献
橋本義彦「執権 (一)」(『国史大辞典 6』(吉川弘文館、1985年) ISBN 978-4-642-00506-7)
上横手雅敬「執権 (二)」/「執権政治」(『国史大辞典 6』(吉川弘文館、1985年) ISBN 978-4-642-00506-7)
五味文彦「執権」/「執権政治」(『日本歴史大事典 2』(小学館、2000年) ISBN 978-4-09-523002-3)
関連項目
連署 - 事実上の副執権
征夷大将軍
鎌倉幕府
鎌倉幕府の執権一覧