松竹は白井松次郎、大谷竹次郎の「松竹兄弟」が築いた会社であり、城戸は白井松次郎の死後、松竹兄弟の末弟で松次郎の嗣子の白井信太郎を制して社長となった。これは、城戸の最初の妻が大谷竹次郎の愛人・城戸ツルの子であり(城戸姓は最初の妻の姓)、つまり城戸が竹次郎の女婿にあたるからこその人事であったが、この辺に松竹のお家騒動の根っこがあったと見る者もいる。弁護士から松竹社長に転身した迫本淳一は城戸の孫である。ちなみにワンマンで名高い城戸のイエスマンとして仕えていたのが奥山親子の奥山融である。丹波哲郎は『キネマ旬報』の「大放言」の中で、城戸没後に影の薄い「あの奥山さんが社長になるとは思わなかった」と驚きを隠していない。
映画『キネマの天地』(1986年、松竹)では、松本幸四郎が城田の役名で城戸を演じている。同『映画女優』(1987年、東宝)では、石坂浩二が城都四郎の役名で演じている。前者は闊達な、後者は重々しいキャラクターとして描かれている。
家族
父・北村宇平 - 築地精養軒主人。同店創業者・北村重威の養子。
養母・城戸ツル(1885年生) - 京都・城戸政七の長女。大谷竹次郎の愛人。竹次郎と築地で同棲中、近所に住んでいた四郎を見初め、1922年に城戸家の婿養子に迎える。ツルはその後、大森で高給サラリーマンや外国人相手の高級マンションを経営した。[6][7][8]
前妻 - ツルの娘。1929年に死別。[9][8]
後妻・琴(1903年生) - 東京・本庄志雅の二女。[7]
長女・君枝(1928年生) - 本州製紙専務・迫本省一の妻。
孫・迫本淳一 - 君枝の子
総指揮
『マダムと女房』(1931年 五所平之助監督)
『大忠臣蔵』(1957年 大曾根辰保監督)
など
著書
『日本映画傳・映画製作者の記録』(文藝春秋新社)
参考文献
小林久三 『日本映画を創った男-城戸四郎伝』(1999年、新人物往来社)
『CD 現代日本人名録 物故者編 1901 - 2000』(日外アソシエーツ)
脚注[脚注の使い方]^ 『人事興信録. 第13版(昭和16年) 上』城戸四郎
^ 『東京府立第一中学校五十年史』巻末「如蘭会員及現在生徒名簿」(東京府立第一中学校,1929年)参照
^ a b 『CD 現代日本人名録 物故者編 1901 - 2000』日外アソシエーツ
^ 『キネマの青春』岩本憲児、リブロポート, 1988, p135
^ 『新版大谷竹次郎』田中純一郎、時事通信社、1995年、p171
^ 城戸四郎『人事興信録. 第13版(昭和16年) 上』
^ a b 『帝国大学出身名鑑』 校友調査会、1934年、城戸四郎の項
^ a b 『キネマの青春』岩本憲児、リブロポート, 1988, p135
^ 『文学界』第56巻、第1?2号、文藝春秋社, 2002、p243
関連項目
城戸賞
田中絹代
淡島千景
岸惠子
岡田茉莉子
岩下志麻
白川由美
倍賞千恵子
小山内薫
岡鬼太郎