坊っちゃん
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兄ばかり贔屓にする。坊っちゃんが台所でトンボ返りをした(この時、竃に胸を打ち付け痛めた)のに腹を立てて、「顔を見たくない」とまで言い放ち、親戚の家に泊まりに行っている間に病死した(第一章)。これには坊っちゃんも、「そんな大病ならもっと大人しくすれば良かった」と後悔している。
勘太郎
坊っちゃんの隣に住んでいた質屋の「山城屋」の倅。十三四。坊っちゃん曰く「弱虫」。坊っちゃんの二つばかり年上。栗を盗もうとした際に坊っちゃんにやられて「ぐう」と言った。
山嵐
数学の主任教師。名字は堀田。会津出身。面構えは坊っちゃん曰く「(比)叡山の悪僧」。正義感の強い性格で生徒に人望がある。赤シャツの陰謀により坊っちゃんとは仲違いもあったが、自分が坊っちゃんに下宿先にと勧めた「いか銀」の本性を知り、坊っちゃんに謝罪して以降は意気投合。たびたび彼に陰湿ないたずらをする生徒たちの行為が職員会議で問題になり、当時坊っちゃんとは対立していたにもかかわらず、生徒を厳罰処分にするよう求める。一方で坊っちゃんが宿直中にもかかわらず学校を抜け出して温泉まで行ったことについてもしっかり釘を刺す(第六章)。外食を禁止していながら、芸者と密会している赤シャツと野だいこを坊っちゃんと一緒に懲らしめる(第十一章)などして友情を深める。ニッケル製の懐中時計を用いる(第十一章)。一説には漱石とほぼ同時期に愛媛県尋常中学校に数学教師として着任していた渡部政和がモデルの一人とされている。一説には漱石の上司であった嘉納治五郎と会津出身の漱石門下の皆川正禧の二つの縁から、会津出身で「山嵐」を得意技とした柔道家・西郷四郎をモデルの一人とする説もある。[8]
赤シャツ
教頭。坊っちゃんの学校で唯一の帝大卒の文学士。表向きは物腰柔らかく穏やかな口調だが陰湿な性格で、坊っちゃんと山嵐から毛嫌いされる。「赤はからだに薬になる」という理由で、通年フランネルの赤いシャツを着用する[9](第二章)。琥珀製のパイプを絹のハンカチで磨く。奏任官待遇(第四章)。金側の懐中時計(=金時計)を用いる。マドンナを手なずけて婚約者のうらなりから横取りする(第七章)。独身、弟と一戸建て(家賃九円五十銭)に住む(第八章)。坊っちゃんが宿直した際の騒動後に飲食店の立ち入りを禁止された坊っちゃんに注意を加えたにもかかわらず、芸者旅館で密会していたため、帰り道で野だいこと共に山嵐と坊っちゃんに懲らしめられる(第十一章)。漱石の愛媛県尋常中学校教師赴任時代の教頭だった横地石太郎がモデルとする説もあるが[4]、横地本人はこれを否定し[10]、困惑・閉口した反応を示している[11]。実際の横地と漱石は、愛媛時代には互いの家を訪問するなど親しく付き合い[11]、漱石が熊本の第五高等学校に異動した後も交際した[10]。また、当時の横地の渾名は「天神さん」であった[11]。そもそも東京大学理学部を卒業した横地の学位は理学士で、文学士という設定の赤シャツとは異なり、漱石自身も講演録『私の個人主義』において「当時其中学に文学士と云ったら私一人なのだから、赤シャツは私の事にならなければならん」と断っている[11]。これは赤シャツが漱石自身というよりも、若い教師たちから文学士である自分が煙たがられていないかといった不安の反映であると同時に、東京帝大出を鼻にかけて権力を振りまわすような傾向が教育界にあってはならないことを同窓に警告しているとする説がある[12]
赤シャツの
坊っちゃんに代数算術を教わっている。坊っちゃん曰く「至って出来のわるい子」で、「渡りものだから、生まれ付いての田舎者よりも人が悪い」。赤シャツの策略の手先としても使われたことがある。
小鈴
赤シャツの馴染みの芸者。角屋で働いている。芸者の中では一番若くて美人。
野だいこ
画学教師。東京出身。赤シャツの腰巾着。名字は吉川。江戸っ子を自称しており、芸人ふうに「…でげす」(…です、の意)と言う。気に入らないものに陰口を叩いたり、赤シャツなど上司におべっかを使うため、坊っちゃんからは初対面の時に「こんなのが江戸っ子なら、江戸には生まれたくないものだ」と苦々しく思われ、第五章では「たくあん石をつけて、海の底へでも沈めちまうのが日本のため」と断言されるなど赤シャツ以上に良く思われていない。坊っちゃんがいか銀の下宿を飛び出した翌日、ちゃっかり坊っちゃんのいた部屋に住み着く(第七章)。赤シャツと様々な悪巧みをするが、芸者と密会した帰り道で山嵐と坊っちゃんに懲らしめられる(第十一章)。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}一説には漱石の愛媛県尋常中学校教師赴任時代の画学教師だった高瀬半哉がモデルとされている[要出典]。
うらなり
英語教師。名字は古賀。お人好しで消極的な性格。青白いながらふくれた容姿の持ち主で、子供の頃に同じように青くふくれている人物について清から「あれはうらなりのとうなすばかり食べているからああなった」と聞いたことを思い出した坊っちゃんから「うらなり」と名づけられた。マドンナの婚約者であったが、1年前のうらなりの父の急死で結婚が延びていた間に赤シャツがマドンナと交際をはじめてしまい、赤シャツの陰謀(表向きは家庭の事情)で再三拒否したにもかかわらず言い含められて延岡に転属になる(第九章)。山嵐と並んで坊っちゃんの理解者の一人であり、いか銀を退去した坊っちゃんに萩野夫婦の下宿人になることを勧める(第七章)。一説には漱石の愛媛県尋常中学校教師赴任時代の英語教師だった梅木忠朴がモデルとされている[13]
マドンナ
うらなりの婚約者だった令嬢。名字は遠山。マドンナは教師たちの間でのあだ名。赤シャツと交際している。坊っちゃん曰く、「色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人」、「水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握ってみたような心持ち」の美人。作中のキーパーソンだが、発言はなく出番もわずかなマクガフィン的な存在。坊っちゃんとの関係は、作中では坊っちゃんが一方的に注目しているだけで、彼女自身は坊っちゃんのことを全く知らない。うらなりの人柄を買っている坊ちゃんはマドンナを「こんな結構な男を捨てて赤シャツになびくなんて、よっぼど気の知れないおきゃん」と評した。一説には松山市の軍人の娘であった遠田ステがモデルの一人とされている[4]
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