坂道コロンブス
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2004年9月8日、林が実家への帰省中、その実家のある男山団地内で少女への強制猥褻を犯した容疑により京都府警八幡警察署逮捕されていた事が発覚した(事件の発生はJSTで2004年6月30日16時10分頃だった)[2][3]。これが原因となり林はホリプロコムのマネジメント契約を懲戒解除され、2004年10月14日をもって事実上の解散となった。

解散後、松丘は2005年に元・フォークダンスDE成子坂のメンバーであった村田とコンビ『鼻エンジン』を結成し、同年のM-1グランプリでは準決勝にまで進出するなどの活躍を見せるが、それから約1年後の2006年11月11日に村田がクモ膜下出血のため急逝したため、これにより再び突如としてコンビは事実上の解散となった。

その後、2008年に元ノンキーズヤマザキモータースとコンビ・『くらげライダー[4]を結成するも、こちらも2014年5月末に解散した。2015年現在は妻である赤プルと共に夫婦コンビである『チャイム[5]として活動中。
出演していた番組

ボキャブラ天国シリーズ(キャッチフレーズは『ローリングサンダー』→『目指せ!Vシネマ』→『エンヤコラさもとい』)

ブレイクもの!

ジャムパラ

P-STOCK(フジ)

こんな私に誰がした

禁断!ハダカの王様

愛に恋(テレビ埼玉)

爆笑オンエアバトル 戦績12勝14敗 最高515KB

第3回チャンピオン大会 セミファイナル9位敗退

「坂道コロコロ」で9勝5敗、「坂道コロンブス」で3勝9敗。番組ではコントでの挑戦が多く、ショートコントでの挑戦もあった。また、2001年5月19日放送回では初めて漫才を披露し、405KBでオンエアを獲得した。因みにこの回が「坂道コロコロ」として最後の挑戦回だった。このようにコント、漫才、ショートコントと3つのジャンルでオンエアを獲得している。[6]

初挑戦は499KBでトップ通過であった。このときはバケツの計量に誤差があったためかオーバー500を達成することが出来なかった。この記録は歴代で彼らとアンジャッシュのみしか達成していない(共に1999年5月16日放送回で達成)。

上述の通り初オンエア後からオンエアとオフエアを交互に繰り返しており、これが11回挑戦時まで続いた。12回目の挑戦で初の連勝を達成しそこから4連勝と好調だったが、改名後は改名前には経験しなかった連敗や再びオンエアとオフエアを交互に繰り返すなど苦戦していた。連敗は最長で5連敗を記録し、連勝の最長である4を上回ってしまった。

オフエア回数14回はワースト3位の記録となっている。


笑う子犬の生活R

エンタの神様 キャッチコピーは「笑いの冒険家」

ママまっしぐら!

なぜ?謎!ごはん。(テレ東)※林のみ出演

彼女が死んじゃった。

脚注[脚注の使い方]^ボキャ天サポーター
^ 「お笑い」じゃすまない坂道コロンブス林が強制H[1]
^ 強制わいせつ容疑で坂道コロンブスのメンバー逮捕。
^ 結成当初は「松丘山崎」というコンビ名で活動していた。
^ 結成当初は「赤プルと旦那」というコンビ名で活動していた。
^ 彼らの他にはせんたくばさみもコント、漫才、ショートコントと3つのジャンルでオンエアを獲得している。

外部リンク

ホリプロコム公式プロフィール(Webアーカイブ)










爆笑オンエアバトル第3回チャンピオン大会
優勝

ルート33

2連覇


ファイナル進出

品川庄司

ますだおかだ

アンジャッシュ

ダイノジ

アンタッチャブル

田上よしえ

ホーム・チーム

ドランクドラゴン

ハリガネロック

号泣

セミファイナルAブロック敗退

アメリカザリガニ

陣内智則

テツandトモ

坂道コロコロ

$10

セミファイナルBブロック敗退

ユリオカ超特Q

プラスドライバー

パックンマックン

バナナマン

ツインカム


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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