松丘が同学年の林を誘い、1994年9月に「坂道コロコロ」としてデビューする。一時期、『ボキャブラ天国』内で鈴木史朗の命名で「エンヤコラさ」に改名したが、短期間で元のコンビ名に戻った。『爆笑オンエアバトル』には番組開始当初である1999年より出演し、合格・不合格を交互に繰り返した事から「坂コロジンクス」というフレーズを定着させた。
2001年5月ごろに「坂道コロンブス」と改名。以降もオンエアバトルに出演し、2001年9月から2003年6月まで最多出場記録を塗り替え続け、当時最多である通算26回の挑戦をする程の常連であった(後に更新され、番組終了時の最多記録は「号泣」の32回である)。また、12勝14敗と負け越している芸人の中で最多オンエア記録を持つ。
2003年1月、旧M2カンパニーを前身とする子会社・ホリプロコムの発足により同社に移籍する。
2004年9月8日、林が実家への帰省中、その実家のある男山団地内で少女への強制猥褻を犯した容疑により京都府警八幡警察署に逮捕されていた事が発覚した(事件の発生はJSTで2004年6月30日16時10分頃だった)[2][3]。これが原因となり林はホリプロコムのマネジメント契約を懲戒解除され、2004年10月14日をもって事実上の解散となった。
解散後、松丘は2005年に元・フォークダンスDE成子坂のメンバーであった村田とコンビ『鼻エンジン』を結成し、同年のM-1グランプリでは準決勝にまで進出するなどの活躍を見せるが、それから約1年後の2006年11月11日に村田がクモ膜下出血のため急逝したため、これにより再び突如としてコンビは事実上の解散となった。
その後、2008年に元ノンキーズのヤマザキモータースとコンビ・『くらげライダー』[4]を結成するも、こちらも2014年5月末に解散した。2015年現在は妻である赤プルと共に夫婦コンビである『チャイム』[5]として活動中。
出演していた番組
ボキャブラ天国シリーズ(キャッチフレーズは『ローリングサンダー』→『目指せ!Vシネマ』→『エンヤコラさもとい』)
ブレイクもの!
ジャムパラ
P-STOCK
表
話
編
歴
爆笑オンエアバトル第3回チャンピオン大会
優勝
ルート33
2連覇
ファイナル進出
品川庄司
ますだおかだ
アンジャッシュ
ダイノジ
アンタッチャブル
田上よしえ
ホーム・チーム
ドランクドラゴン
ハリガネロック
号泣
セミファイナルAブロック敗退
アメリカザリガニ
陣内智則
テツandトモ
坂道コロコロ
$10
セミファイナルBブロック敗退
ユリオカ超特Q
プラスドライバー
パックンマックン
バナナマン
ツインカム