坂本龍一
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ワールド[3]

現代音楽[4]

職業

作曲家

編曲家

ピアニスト

音楽プロデューサー

俳優

担当楽器

キーボード

シンセサイザー

ピアノ

オルガン

ボーカル

ドラム

活動期間1978年 - 2023年
レーベル

日本コロムビア / Better Days (1978年 (1978) - 1979年 (1979))

アルファレコード(1978年 (1978) - 1983年 (1983))

MIDI / SCHOOL(1984年 (1984) - 1986年 (1986))

CBS・ソニー / TERRAPIN (1987年 (1987) )

ヴァージン・レコード(1989年 (1989) - 1991年 (1991))

東芝EMI (1991年 (1991) - 1993年 (1993))

FOR LIFE / gut(1994年 (1994) - 1997年 (1997))

タワーレコード / gut bounce (1996年 (1996) - 1997年 (1997))

ワーナーミュージック・ジャパン (1998年 (1998) - 2006年 (2006))

commmons(2007年 (2007) - 2023年 (2023))

共同作業者

りりィ&バイバイセッションバンド

細野晴臣

高橋幸宏

イエロー・マジック・オーケストラ

矢野顕子

忌野清志郎

デヴィッド・シルヴィアン

公式サイト ⇒sitesakamoto.com

坂本 龍一 (さかもと りゅういち、英語: Ry?ichi Sakamoto、1952年昭和27年〉1月17日[5] - 2023年令和5年〉3月28日[6][7][8])は、日本作曲家編曲家ピアニスト音楽プロデューサー[9]東京都出身[10]

音楽性は幅広く、クラシック音楽が根幹にあり、民俗音楽ポピュラー音楽(特にテクノポップ)にも造詣が深かった。1987年には日本人で唯一アカデミー作曲賞を受賞しており、映画音楽でも世界的に評価されている[11][12]愛称は「教授」[13]。晩年は環境や憲法に関する運動にも積極的に参加していた[14][15]。1990年代中盤にはインターネットの普及に先んじて逸早くライブや作品に取り入れるなど、新技術にも興味を示していた。
概要

幼いころから母方叔父の持っているレコードを聴いて音楽への興味を募らせつつ成長した。田園風景の濃厚に残る世田谷区で小中学生時代を過ごし[16]、当時学力上位校の一つであった東京都立新宿高等学校に進学する[17]新宿は当時の日本のサブカルチャーの中心地であり、映画音楽を中心に様々な店に出入りしては文化的素養を吸収していった[18][19]東京芸術大学在学中にスタジオ・ミュージシャンとして活動を開始[5]した。1970年代後半よりソロやKYLYNバンドのメンバーとして活動する一方、メンバーとして参加した音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」が国内外で商業的成功を収め、人気ミュージシャンとなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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