坂本龍一
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坂本 龍一 (さかもと りゅういち、英語: Ry?ichi Sakamoto、1952年昭和27年〉1月17日[5] - 2023年令和5年〉3月28日[6][7][8])は、日本作曲家編曲家ピアニスト音楽プロデューサー[9]東京都出身[10]

音楽性は幅広く、クラシック音楽が根幹にあり、民俗音楽ポピュラー音楽(特にテクノポップ)にも造詣が深かった。1987年には日本人で唯一アカデミー作曲賞を受賞しており、映画音楽でも世界的に評価されている[11][12]愛称は「教授」[13]。晩年は環境や憲法に関する運動にも積極的に参加していた[14][15]。1990年代中盤にはインターネットの普及に先んじて逸早くライブや作品に取り入れるなど、新技術にも興味を示していた。
概要

幼いころから母方叔父の持っているレコードを聴いて音楽への興味を募らせつつ成長した。田園風景の濃厚に残る世田谷区で小中学生時代を過ごし[16]、当時学力上位校の一つであった東京都立新宿高等学校に進学する[17]新宿は当時の日本のサブカルチャーの中心地であり、映画音楽を中心に様々な店に出入りしては文化的素養を吸収していった[18][19]東京芸術大学在学中にスタジオ・ミュージシャンとして活動を開始[5]した。1970年代後半よりソロやKYLYNバンドのメンバーとして活動する一方、メンバーとして参加した音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」が国内外で商業的成功を収め、人気ミュージシャンとなった。同時に山下達郎大貫妙子などの同世代の音楽家とも知り合い、共同作業を行った。

YMO時代にテクノポップニュー・ウェイヴの分野で活動したことは広く知られているが、その後は一つのところに留まらず、現代音楽の手法を使った作品の発表、ロックテクノの融合、ワールドミュージックヒップホップR&Bなどのブラックミュージックを織り交ぜたポップスオペラの作曲およびプロデュースクラシックボサノヴァのユニットを結成してのワールドツアー、晩年はアンビエントエレクトロニカの作品を発表するなど、ジャンルを横断して多彩な作品を発表した。前衛的で先進的なイメージを残しながら、大衆に理解され得る親しみ易さを持った作品として仕上げる手腕に卓越したものを持っていた[20]

自身の音楽活動のほか、プロデューサーアレンジャーとしても活動し、他のアーティストへの楽曲提供も数多く行っている。俳優として出演した大島渚の監督映画『戦場のメリークリスマス』で映画音楽も手掛け、日本人初の英国アカデミー賞 作曲賞を受賞した。1987年公開の『ラストエンペラー[注 1]では日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し[注 2]、同曲でゴールデングローブ賞 作曲賞、1989年第31回グラミー賞最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞など世界的な音楽賞を総なめした。1990年映画シェルタリング・スカイ』のサウンドトラックを担当しロサンゼルス映画批評家協会賞の作曲賞、1991年ゴールデングローブ賞 作曲賞を受賞した。以降、国内外の映画音楽を手掛け、映画音楽家としての地位を築いた。

1990年代前半は打ち込み系ポップスの作品を多数リリースし、1995年11月30日には『三菱電機 スーパーセレクション 坂本龍一 TOUR '95 D&L with Daizaburo Harada』というライブを開催し、日本初のインターネット配信も行った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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