坂井義則
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アマチュアリズムが生きていた」として東京大会を「理想の五輪」という坂井は、マラソン選手の出場料やボーナスの折衝を「仕事だからと自分に言い聞かせた」という[2]

2005年(平成17年)にフジテレビを定年退職した。以後はフジテレビの関連番組制作会社に再就職してエグゼクティブプロデューサーとして活動した[8]。子息の厚弘はTBSで勤務、2007年世界陸上選手権では国際映像のチーフディレクターを担当している。

2020年東京オリンピック開催地決定を見届け、2014年9月10日午前3時1分、脳内出血により東京都文京区の病院で死去した。69歳没[9]
登場作品

いだてん?東京オリムピック噺?NHK大河ドラマ) - 2019年(令和元年)12月8日と12月15日に放送された第46回と最終回に、1964年東京オリンピック聖火リレー最終走者として登場。井之脇海が演じた[10]

脚注
注釈^ 候補10人(男子8・女子)の中から選ばれた[4]
^ 河野一郎オリンピック担当国務大臣(早大競走部OB)の意向もあったといわれる[5]
^ 鈴木によると、坂井の顔色が青かったため「緊張していないですか」と聞いたところ「階段を踏み外さないように頑張るよ」と表情をゆるめて答えたという[6]
^ 段数については文献により163段、182段など諸説ある。坂井自身は167段と聞かされていた[2]

出典^ “東京五輪最終聖火ランナーの坂井義則氏が死去 69歳 「原爆の子」平和の象徴として大役担う”. 産経ニュース. (2014年9月10日). https://www.sankei.com/sports/news/140910/spo1409100017-n1.html 2020年2月28日閲覧。 
^ a b c d e 小沢剛「心の聖地 スポーツ、あの日から」四国新聞2010年5月11日20頁。
^“【甘口辛口】5月11日”. サンケイスポーツ. (2010年5月11日). ⇒http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/other/389405/ 
^ “【甘口辛口】「幻の聖火ランナー」落合さん、補欠から正走者への夢はかなうか”. 産経ニュース. (2014年10月10日). https://web.archive.org/web/20160311235052/http://www.sankei.com/column/print/141010/clm1410100009-c.html 
^聖火ランナー坂井義則、力尽きる - 思聞のひとりごと(松倉悦郎)2014年9月10日
^ 毎日新聞2015年3月19日23頁
^ 『第18回オリンピック競技大会公式報告書(上)』
^ a b “64年東京五輪聖火リレー最終走者・坂井さん、56年ぶりの聖火を「今度は客席で」”. スポーツ報知. ⇒オリジナルの2013年9月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130907235502/http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20130906-OHT1T00193.htm 
^“東京五輪聖火走者の坂井さん死去”. デイリースポーツ. ⇒http://daily.co.jp/newsflash/general/2014/09/10/0007316774.shtml 2014年9月10日閲覧。 
^ “井之脇海 「いだてん」最終聖火ランナー・坂井義則役 “集大成”担い重圧? 走ることに「苦手意識」も…”. (2019年12月8日). オリジナルの2019年12月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20191220140945/https://mainichi.jp/articles/20191207/dyo/00m/200/019000c 

関連項目

東京国際マラソン










オリンピック最終聖火ランナー
夏季大会

1936 ベルリン - フリッツ・シルゲン

1948 ロンドン - ジョン・マーク

1952 ヘルシンキ - パーヴォ・ヌルミ

1956 メルボルン - ロン・クラーク

1960 ローマ - ジャンカルロ・ペリス


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