2019年4月に週刊女性PRIMEが20?30代の女性200人を対象に行った、「この人は嫌! 上司にしたら最悪な芸能人」というお題のアンケート調査[36][37]では1位だった。
2020年4月17日午後に自身のブログにて、新型コロナウイルスの緊急事態宣言発令から解除までにおける個人としての収入全てを、何らかの形で寄付する宣言をした[38]。
2021年3月、YouTubeチャンネル「坂上家のチャンネル」を開設[39]。
2022年4月4日に動物保護ハウス「さかがみ家」をオープンさせる[40]。これに伴い4月1日を以て『バイキングMORE』を卒業。[41]
2023年9月下旬に一般女性と再婚した[42][43][44]。
不祥事
1995年1月14日の深夜1時30分、仕事仲間の俳優宅でのパーティーから自家用車で帰宅途中、飲酒運転の上に世田谷区内の道路脇の電柱に激突。コンクリートの電柱を根元から折るという器物損壊事件を起こした[23][45]。その後、車中から姿を見せた坂上は、一目で泥酔状態と判る千鳥足だった[45]。「救急車を呼びましょうか?」と言われ一時はそこで待機していた坂上だったが救急車の姿が見えた途端、坂上は大破した車に再び乗り込み逃走。約50メートル前方に駐車してあった車にぶつかっても構わずに行ってしまった。数台のパトカーが坂上の車を追跡。約20分間のカーチェイスの末に事故現場から1.5キロ離れた環状7号線沿いでようやく停車。酒気帯びより1ランク上の酒酔い運転による道路交通法違反の疑いで警視庁北沢警察署に現行犯逮捕された[45][46][47]。このとき坂上の車には女優の山本未來が同乗していたため、恋愛スキャンダルとしても報じられた[45]。
人物
家族
父親の勝也は福岡県大牟田市出身(本籍は熊本県玉名郡小天村(現在の玉名市))で業界紙の記者だったが小説家になるために新聞社を退職し、出版社を立ち上げた[48]。母親は山形県山形市出身[49]、東京都新宿区歌舞伎町で飲食店「ザ・テレビジョン」を経営している[10]。
私生活では2001年に元客室乗務員の女性と結婚するも、2003年に離婚した事を同年放送のバラエティ番組「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ)にゲスト出演した際に公表した。離婚理由として、仕事の忙しさから来るすれ違いや、過剰なまでの潔癖症、10代の頃から競艇場へ通い続けるといった坂上のギャンブル好きも挙げられていた。坂上自身が当時の妻に物凄く惚れており、欲する物を全て値段を考慮せず買い与え尽くしていた。とある朝、リビングへ行くと妻が高級家具に囲まれブランド品のカタログを眺めており、その姿を見て「この人は違う世界で生きる人間なんだ」と目が覚めたとのこと。「離婚する人間には自分も含めて欠陥がある」との持論を持つ[50]。2014年2月4日放送のテレビ朝日系『ロンドンハーツ』にて、益若つばさに対し「離婚した人間は欠陥がある」「楽屋が隣なのに挨拶に来なかった」などと痛烈な批判を浴びせた[51]。
2023年10月、坂上どうぶつ王国にて14歳年下の一般女性と9月下旬に再婚していたことを発表。
交友
子役時代に周りの大人たちから構われず、放置された。しかし長山藍子は、坂上が嬰児のころから出会った縁で[52]、坂上のことを「しーちゃん」と呼んで、食費を持っていない坂上に対して自分の食事を食べさせるなど可愛がっていた。今でも坂上自身は彼女のことを「母さん」と呼んで慕っている[53][54]。
自身が「先生」と呼ぶのは、橋田壽賀子・石井ふく子・ジェームス三木の3人と決めて、あとは学校の先生だけと公言したことがある[55]。
火野正平とは16歳の頃からの付き合いがあり[56]、坂上にとって特に影響を受けた人物となっている[57][58]。
坂上が毒舌キャラでブレークしたのは、青少年時代に役者を辞めることも考えた坂上に対して映画監督の相米慎二から「お前は宇宙人だ、何を考えているのかわからない」「役者は決まったセリフでするんじゃない。自分で考えろ」と言われて、役者としての面白味に目覚めたからであり、現在でも坂上は相米に言われたことを意識している[59]。相米の映画『ションベン・ライダー』で共演、デビューした1歳下の永瀬正敏は、撮影時に先輩風を吹かすことがなく一緒の目線でやってくれたと、坂上へ感謝の気持ちを持っている[60]。
3歳上の近藤真彦と1985年に『ニッポン親不孝物語』で兄弟役で共演した際に、演技で近藤から本気の平手打ちを受け、これに怒った坂上が帰った逸話がある[61]。
NHK作品では1990年の大河ドラマ『翔ぶが如く』の[62]、演出家のある一人から評価を受けて以降、時代劇・現代劇を問わず彼の出演依頼を受け続けた。
1991年の映画『就職戦線異状なし』で一緒だった的場浩司(1学年下)とは、たびたびバラエティ番組などで共演している[63]。撮影時、金子修介監督から主演の織田裕二(同い年)へダメ出しはなく、逆に芸歴が長い坂上へは「もうちょっと芝居しないで」と指示があった。時代が変わると感じ、以降は極力、芝居をしていないようにやらないといけないと考えたとのこと[64]。織田とは2018年10月1日に、自身がMCを務める『FNS番組対抗オールスター秋の祭典 目利き王決定戦』で久々の共演もした[65][66][67]。
芸能人として無気力だった坂上は準レギュラーとして出演していた1994年のクイズ番組『クイズ!年の差なんて』[68]で司会の桂三枝から、「芸能人はお笑いをとって、ナンボでっせ」とアドバイスを受けたが、当時の坂上はそれをまともに受け止めずに無視した。後年にブレークした坂上は三枝に対して、当時のことを詫びて謝罪した[69]。共演者だった藤村俊二からは逆に、「今の(まま)でいいんだよ、無理だけはしちゃダメなんだよ」との助言もあった[70]。『CLUB紳助』を視聴していた際、司会の島田紳助の「番組に出てただ座っているヤツが許せへん。出たくても出れないヤツがいっぱいおるのに」という言葉に衝撃を受け、その後バラエティ番組の出演機会は積極的に話すようにしていったという[71][72]。
1998年の舞台「おもろい女」に出演した際、演出を担当した喜劇役者の三木のり平から、人生に大きな影響を受けた[73]。