地質時代
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18世紀後半になると産業革命に伴う鉱山開発から岩石や化石に関する関心も高まり、地質学や古生物学の基礎が形作られる[8]

ドイツの地質学者アブラハム・ゴットロープ・ウェルナーが鉱物分類法・構造地質学の基礎を築く。水成論(水成岩起源説)を提唱した。

1795年、イギリスのジェイムズ・ハットンが『地球の理論(Theory of the Earth)』を出版、斉一説および火成論を提唱、地殻運動の証拠となる「不整合」を発見。

19世紀


1809年、フランスの博物学者ジャン=バティスト・ラマルクが『動物哲学』を出版し、軟体動物化石の研究から進化論を提唱した。

「英国地質学の父」、「層位学の父」と呼ばれるウィリアム・スミス地層累重の法則示準化石による年代決定法(地層同定の法則)を編み出し、イギリスの地質図(1815年)を作った。

1831年、フランスの博物学者ジョルジュ・キュヴィエが『骨化石の研究』を出版した。比較解剖学の創始者。

1859年、チャールズ・ダーウィンが『種の起源』を発表し進化論を提唱する。

20世紀


1912年、ドイツの気象学者アルフレート・ヴェーゲナー大陸移動説を提唱した。

1922年、ソ連の化学者アレクサンドル・オパーリン化学進化説を提唱した。

1929年、松山基範が、東アジア各地の岩石の残留磁気の測定結果から地球磁場反転説を提唱した[注釈 3]
1940年代に質量分析器が開発され、50年代に放射性炭素年代測定が始まる。

1960年代代後半にプレートテクトニクスが確立。

1975年、米国のウィリアム・ハートマン(英語版)とドナルド・R・デイヴィス(英語版)が月の生成に関するジャイアント・インパクト説を再提唱。

1980年、恐竜絶滅の隕石衝突説が提唱され、1991年に衝突跡がチクシュルーブ・クレーターと特定された。

1992年、雪玉地球仮説が提唱された。

21世紀


縞状鉄鉱床の研究や炭素硫黄などの同位体の分析から提唱されている質量非依存同位体分別効果(英語版)[9]に関連し大酸化イベント(英語版)と呼ばれる遊離酸素濃度の急激な上昇が研究されている。

定義

区分の仕方は大きくは古い方から冥王代太古代原生代顕生代の4つの累代、さらに細かくと分類されている。これらの区分は化石帯区分と呼ばれ、地層や化石の研究から導きだされたものである。これらの時代区分は動物化石を基に分類されているので、植物相の変異とはズレがある。また第四紀に関してはヒト属の時代という区分である。

地球年代学層序学地質年代区分年代層序区分定義数および概年数
累代eon累界eonothem4累代、各5億年以上
era界erathem10代、数億年程度
period系system22紀、数千万?数億年
epoch統series34世、数千万年
age階stage99期、数百万年

時代と層の対比
後期late上部upper
中期middle中部middle
前期early下部lower

地球年代学(: Geochronology、地質年代学とも)で定義する累代、代、紀、世、期に相応する地層を層序学: stratigraphy)および地質年代層序学(: chronostratigraphy)では累界、界、系、統、階と呼ぶ。また地球年代学で言う前期、中期、後期に対しては下部、中部、上部となる。右の表を参照。

時代区分の定義、名称や基底年代等に関しては絶えず見直されており、また合意に至っていないものも多々ある。これらは国際地質科学連合(IUGS)、国際第四紀学連合(英語版)(INQUA)、国際層序委員会(ICS)等で検討され、4年ごとに開催される万国地質学会議(: International Geological Congress)で批准されてきている。

時代区分は化石すなわち過去の生物相に拠るものであり地域毎に特性がある。よって細かい時代区分では各大陸での様相は均一ではなく、異なった区分が提唱されることもあり、それらをすり合わせる事が国際層序委員会の主な活動の一つである。

当記事では公式・暫定を含め国際地質科学連合(IUGS)および国際層序委員会(ICS)の資料に基づき記述する。
年代の定義詳細は「国際標準模式層断面及び地点」を参照

時代区分の開始年代(基底年代)は、主にその区分に属する岩石や化石の放射年代測定によって統計誤差を伴った年代数値が割り出されているが、新生代の新第三紀以降の年代数値は、放射年代測定の結果と良く適合し、気候変動を説明出来る日射量の変動サイクル(ミランコビッチ・サイクル)による絶対年代である天文年代で定義されている。また地層・岩石や化石試料の乏しい原生代以前に関しては、端数の無い大まかな天文年代で定義されている[10]
地球環境の変遷顕生代後半の大陸の推移 左上より
ペルム紀末頃(2.25億年前) - 三畳紀末頃(2億年前) - ジュラ紀末頃(1.5億年前) - 白亜紀末頃(6500万年前) - 現在

地球誕生以来、多くの重大事象が起き、初期の地球環境はかなり極端であったと予想されている。45.5億年前のが出来る原因となったと思われる天体との衝突があり、地球の自転速度は月誕生直後では一日が5-8時間で、月は地球から1.5-2万キロ(現在は38万キロ)と近くにあり[11][12]、非常に大きな潮汐力であった。その後徐々に1日が長くなると同時に、月が離れていった[13]。(8.5億年前頃(新原生代)には一日は20.1時間で一年は435日であった[14]。)41億年前から38億年前の間には後期重爆撃期と呼ばれる多くの天体衝突があり、初期の地球環境は何度も破壊された。以降も直径10qを超える小惑星を含めた隕石衝突があり環境を激変させた。

地球誕生直後はマグマで覆われていたが、比較的早期に冷えて固まり42億年前には既に海洋が形成されていた事が、発見された岩石情報から推定されている[15]。40億年前(太古代の初め)には地温勾配は現在の3倍程で、25億年前には2倍程になり[16]、地球が冷え地殻が形成され、マントルの対流により超大陸の形成分裂が繰り返され、火山活動・造山活動もそれに伴い引き起こされた。25億年前にはそれまでの海底での火成活動から、大規模な陸上での火山活動が起きた。

太陽の明るさは40億年前には現在の70-75%と冷たい太陽であったが[17]、温室効果ガスによると考えられ気温は現在とほぼ同じであった[18]地磁気は32億年前には現在の50%ぐらいで初期の地球大気を太陽風から守っていた[19]。地磁気の逆転は何度も起きている。幾度もの氷河時代が訪れており特に強い氷河時代には赤道付近まで凍結する雪玉地球の状態であったと推定されている。これらの気候変動により数百メートルの幅で海水準変動が起きた。酸素濃度の推移。
地質時代のほぼ中間で大酸化イベントと呼ばれる大量の酸素放出が起き、それまでの還元環境から酸化環境となり、好気性生物の出現、その後の生物の陸上進出を可能にした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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