地方病_(日本住血吸虫症)
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

^ 『死体解剖御願』は当時の農民にしては記述内容の知的水準が高く、毛筆の筆跡も達筆であったことから、なか本人の承諾を得た上で吉岡をはじめとする関係者によって書かれた可能性が指摘されている。林 (2000) pp.73-74
^ 執刀した下平は、おびただしい虫卵を目の当たりにし「その原虫を発見せざるが故に十分の判定下し難きも、本病はおそらく一新寄生虫の所為に期すべし」と述べている。山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.10
^ 酒精(エチルアルコール)に浸けられ、山梨県立病院に保存された。当時、ホルマリンは未だになかった。小林 (1998) p.39
^ 三神内科は2017年現在も同所(甲府市大里町)で開業する三神医院である。2017年現在の同医院院長三神柏は三神三朗の孫に当たる。
^ 三神脳外科内科医院の中庭に、『明治37年7月30日此の地に於て初めて日本住血吸虫が発見された 三神三朗』と書かれた銅版がはめ込まれた石碑が建立されている。薬袋勝「山梨県の住血吸虫の防圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005)、p.32
^ 官報6337号に記載された桂田の報告によれば、2回目の猫の解剖日時は7月25日となっているが、ここでは発見地にある石碑碑文に記載された7月30日を発見日とした。
^ カットー医師をドイツ人とする文献も存在するが、当時のシンガポールはイギリスの植民地であり、カットーはシンガポールに検疫官として赴任していた。小林 (1998) p.69。
^ 十郎川の通称「深マチ」という場所(現:山梨英和大学南方、国道140号横根跨線橋付近)で、約100坪ほどの水面を利用して動物実験が行われた様子が横根町在住の秋山丈吉により1977年に証言されている。山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.167
^ 発見した水路の所在地を、酒井地区の北隣に位置する現鳥栖市曽根崎町とする資料(NPO法人宮入慶之助記念館しおり)もある。
^ ミヤイリガイの学名は、Katayama(後にOncomelania)nosophora。 ⇒"カタヤマガイ(別名ミヤイリガイ)"日本のレッドデータ検索システム 2014年4月13日閲覧
^ 山梨地方病撲滅協力会編 『地方病とのたたかい』 平和プリント社、p.56、より一部改変作成。
^ 東山梨郡:岡部村、(春日居村は検診未了)。
^ 西山梨郡甲運村住吉村朝井村山城村里垣村国里村清田村相川村千塚村
^ 東八代郡富士見村石和町上曽根村下曽根村豊富村
^ 西八代郡上野村
^ 中巨摩郡:貢川村西条村国母村大鎌田村二川村稲積村三町村常永村小井川村花輪村忍村池田村玉幡村今諏訪村田之岡村御影村百田村大井村五明村藤田村鏡中条村南湖村、(松島村竜王村は検診未了)。
^ 北巨摩郡:登美村塩崎村竜岡村更科村神山村大草村旭村
^ 最後に日本住血吸虫症の発症が確認されたのは韮崎市内であった。林 (2000) p.80
^ 山梨地方病撲滅協力会編 『地方病とのたたかい』 平和プリント社、p.51、p.105、より一部改変作成。
^ 三神三朗は自ら率先して、甲府市立国母小学校、同市立貢川小学校の校医を務め、初期感染患者の発見、早期治療に貢献した。山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.174-177

次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:404 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef