土田晃之
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運動神経が鈍くて鈍足だったため、学校でサッカーをやるとディフェンダーばかりをやらされ運動神経のよい同級生たちに打ちのめされる日々を過ごした[7]

1985年、中学校1年生のときに、調子づいた態度が災いしてクラスメイト全員から無視されていたが、父親の言葉に後押しされて不登校にはならなかったとのこと[9]

中学生時代、教育熱心な母親に反抗的だったが、土建業を営む父親には頭が上がらず、その父親から「家計が厳しいから私立高校へは通わせられない。公立高校に行け」と厳命された[8]。しかし、最底辺の成績しか残せず、担任から受験すれば誰でも受かる私立高校(埼工大深谷高校 現・正智深谷高校)を勧められて、父親に土下座をして入学金と授業料を支払ってもらった[8]。高校1年生の時に無期停学処分を受けたものの、3年間で卒業した[8]

卒業後に東京アナウンス学院のお笑いタレントコースに入学。同級生によれば演技はうまかったが、何日も稽古をサボったり、漢字が大の苦手で台本が読めず「“海”という字が読めなくて止まってました」という[10]

専門学校時代はフジテレビエキストラのアルバイトをしており、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!!』や『志村けんのだいじょうぶだぁ』に出演していた。体が大きくて目立つので重宝されたという[11]
U-turn時代詳細は「U-turn」を参照

1991年4月、東京アナウンス学院に在籍していた時代に対馬盛浩と出会い、「元不良と元生徒会長」のアンバランスさを売りにしたお笑いコンビ、U-turnを結成した[12][13]。1992年2月[1][14]、コンビ結成後の初舞台のライブが思いのほか好評だったこともあって、自信満々になり「ダウンタウン?2年で抜いてやるよ!」と豪語した[15][16]

GAHAHA王国』(テレビ朝日)『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ)などのお笑い番組やライブに出演したが、1999年に『ボキャブラ天国』が終了して収入が激減した結果、2001年に対馬が廃業を決意し、コンビ解散となった[17]。対馬の廃業の件は、事務所を通じて知ったとのことで、それまで「コントがウケなかったら相方の責任にしていた」ことが頻繁にあった[13]。その後は、ピン芸人として自立することになった[17]
ピン芸人

ボキャブラ天国が打ち切りとなり、ピン芸人になって仕事が大幅に減少して困っていた時にプライドを捨て、まだ幼い子供と妻を養う為にそれまで否定的だったリポーターの仕事も請け負った[16]。その結果、『銭形金太郎』(テレビ朝日)でレギュラーになるなど、リポーターの依頼が増えた[16]。しかし、仕事をこなすうちにストレスのかかるロケが続くようになり、1年に3回、重い十二指腸潰瘍を患った[16]。通院先の担当医と相談したところ、自身のストレスと自覚していたロケリポーターの仕事に対し止めた方がいいとの助言を受ける。その後、病院での指導と助言を元に所属事務所に相談し、その仕事をすべて降板。以降は『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ)の仕事をきっかけに「雛壇芸人」としての仕事をこなすようになった[18]。その後、大勢のタレントが集まって出演者同士の会話をメインにしたトーク番組がテレビ業界で増えたため、雛壇芸人としての仕事が急増した[7]。現在、ロケ仕事に関しては担当医と相談し、自分の好きな家電やホビーカルチャー等以外は基本的にまた十二指腸潰瘍で体を壊すと困るので、あまり単独や職場仲間らと一緒に参加することはほとんどない。

近年は『バイキング』(フジテレビ)や『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ)などへ出演し、コメンテーターとしての仕事も増えている[19]
人物
芸風・スタンス

フリーライターの武田砂鉄は土田の芸風を「無駄が無い、必要最低限のことしか言わない、発言を外さない、場を乱さない、進行を妨げない……。適応能力、という言葉に集約されるだろうか。」「積極的に笑わないし、ましてや立ち上がって手を叩いて前のめりになることはない。先輩が寒いギャグをかまして周りが笑い転げているのに、彼は、淡々と立ったままである。」と述べている[20][21]

お笑い評論家のラリー遠田は土田の芸風を「コンビを解散してからコントをしていないし、社交的じゃないので自分の自虐ネタをそれほどやらない。その欠点をカバーするために竜兵会上島竜兵とつるんでいて、上島の失敗談や妙な生態を収集してネタにしている。」「家電、ガンダムアイドルなどマニアックなイメージがあるが、多くの本を読み漁ってたくさんの知識を蓄えるタイプではないし、その道に精通した真のマニアではない。けれど、誰でも知ってる最低限の知識を押さえていてそこを外さないから仕事がある。」「あくせく働きたくない、俺はそこそこでいい、というのをずっとキープしている。計算して自分のポジションをつかんできている。」と分析している。土田本人もこのことは自覚しており、自身の事を「サラリーマン芸人」と述べたこともある[22]

フリーライターの田幸和歌子は「薀蓄をきっちり暗記してくるタイプなことは間違いないけど、過去の記憶を脳みそから引っ張り出す作業は非常に苦手にしている」と分析している[23]

土田本人も「細かいところまでは良くわからないレベルの知識量なんですが、王道の部分は触れないようにして、ちょっと通っぽく見える話し方をしてるってだけなんです」「知識のどこを切り取って出すかによって印象って変わるんです」と話している[24]。ただし、せっかく知識を仕入れても、事務所の力関係で仕事につながらないと、興味がなくなってしまうとのこと[25]

若い時はビッグマウスを振りまくだけ振りまき、30代で結果を出せばよいという考えをもっていた。巷の流行に踊らされ、一歩先を行ってますアピールをしている人はダサい、何にも振り回されない自分のスタイルを持っている人が一番カッコイイとしていた[26]
趣味・嗜好

趣味はサッカー、アイドルからアニメ(とくにガンダム関連)で、その関連の仕事を得ていることから、自らをおたく芸人と称している[7]。ただし、2016年時点で、サッカーに対する言及はほとんどしなくなっている[25]

ガンダム

ガンダムを好きになった契機は「中学生の頃に塾をさぼって近所の長崎屋で観た『機動戦士Ζガンダム』だった」とも[27]、「ファーストからZZ(ダブルゼータ)まではリアルタイムで見ていた」とも発言している[28]。「同級生で『Z』、『ZZ』を見ていたのは0.1%くらい。中学生だから部活もあるし、アニメなんて見ない。ファーストは99%は見ていたんですけどね」との独自の分析を披露している[28]。また、『V』以降は大人になっていたため、最初の3、4話だけ見て「これはガンダムじゃない」と思い、その後は見なくなったと述べている[28]。子供がリアルタイムで見ていた『SEED』も当初は否定的だったものの、DVDで見ていくうちに「このガンダムがいちばん好きかも知れない」と思うようになったとのこと[28]

娘の名前を『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』のヒロイン・アイナ・サハリンを元に名づけた[29]


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