土岡組
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^ 土岡博は古いタイプの博徒であったため、呉で「ボンクラ」と呼ばれる不良・愚連隊は「行儀が悪い」として“入門”を許さなかった。土岡組に入れない愚連隊は、土建業を営む桑原のもとにたむろし「おかつちがどしたんない、いつでも相手になるど」と土岡の悪口を並べ立てた。苦にがしく思っていた博の兄正三と大西らは桑原の殺害を計画。祭りに桑原たちが集まっている所へ乗り込むと桑原たちは逃げたが、小原馨は残った。小原は22歳の若者であったが性根がすわっているだけに、留まったのである。
^ この出来事が引き金になり、久保健一は引退を表明し、市議会議員選挙に立候補を決意する。土岡組の勢いを前に抗う力を失った出来事であった。
^ 土岡博は侠気にあふれた親分であったが、金と女にだらしが無く大西にはそのあたりが合わなかった、また大西の賭場で酔った正三が暴れた事があり大西の気持ちは土岡組から離れていった。大西の微妙な気持ちを突いたのが山村で、口のうまさと金で大西の懐柔に成功する。
^ 山村は美能に「博は生きとる、なんで止めを刺さなかったんかい、もう一度やれい」とけしかけ、あげくに「わしには責任はない、こんなが責任をとれい」と冷たい仕打ちであった
^ 波谷は「わしを撃つなら撃ちないよ、そのかわり一発だけ、わしも撃たしてもらうけん」と腹巻の道具を握りしめた
^ 「どうして波谷を生かして帰したんない」と責める山村に、大西は「ほかの者じゃったら生かして帰さんけん、守之じゃ可愛いけんのう。あいつは生かしとったら必ず男になるけん」と答えている

参考文献 

本堂淳一郎
『広島ヤクザ伝 「悪魔のキューピー」大西政寛と「殺人鬼」山上光治の生涯』幻冬舎<アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40420-3

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