土屋嘉男
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他に特撮作品では『怪獣大戦争』のX星人統制官、『ガス人間第一号』のガス人間・水野役で知られる[2][6]。『ゴジラvsキングギドラ』では、シリーズ初のゴジラと心を通わせる役を演じている[14]

東宝退社後は主にテレビドラマで活躍した。また、かつては黒柳徹子のトーク番組『徹子の部屋』の常連ゲストでもあった。上岡龍太郎とも親交が深く、彼がよく珍エピソードを紹介していた。

2017年2月8日肺癌で死去。その死が報じられたのは、約7か月後の9月6日だった[8][13]
逸話

上記の通り、俳優座養成所出身であるが、俳優デビューは舞台ではなく、映画の『殺人容疑者』であった
[15]

初舞台をふんだ『しいたけと雄弁』では、演出家の青山杉作から起用の理由について「メーキャップが乗る顔をしているから」と説明された[12]。同舞台で伊藤定助賞を受賞したものの、俳優座研究所の月謝を滞納していたため、賞金はすべてその支払に使われ、それでも滞納額には足りていなかったという[12]

黒澤明によると、本人は明るい性格なのだが笑うとどこか影のある笑顔になるとのこと。

俳優座時代には、東大生の友人2人と四畳半一間の下宿を格安で借りていたがそこを出ることになり、黒澤の家に居候になるまではニワトリ小屋に住んでいた[16]。周囲からは人間らしいところに住むよう言われていたが、土屋自身は「最高の埴生の宿だった」と述懐している[16]

土屋が誕生する1ヶ月前に4歳の兄が祭りの綿菓子おでんを食べて疫痢にかかり死亡していたため、幼少期には買い食いを固く禁じられていた[16]。どうしても綿菓子が食べたかった土屋は、父親に泣いてせがんだ結果、「大人になって自分で綿菓子の機械を買って作るならよい」という許しを得て、その後『七人の侍』に出演して初めてもらったギャラで実際に綿菓子機を購入した[16]。しかし、当時の価格で2万円という高額で購入した機械は扱いが難しく、3ヶ月ほどかかって良品が作れるようになったころには試食ばかりしていたため綿菓子を見るのも嫌になっていたという[16]。高額のもとを取ろうと子供たちに綿菓子を売ろうとしたこともあったが、作り始めようとしたところに東宝宣伝部の人間が偶然通りかかったため逃げてしまいそれきりであった[16]

俳優の志村喬は、妹が土屋の親戚筋に嫁いでおり、土屋は『七人の侍』で共演した際には志村から親戚であることを聞かされたという[17]。以後、土屋は志村を「おじちゃん」と呼んで親しんでいた[17]

趣味趣向

趣味は登山フラメンコギター釣りモトクロスなど多岐に渡り、最も登山や釣りには造詣が深くサンテレビ制作の釣り番組『ビッグフィッシング』では司会を務めた。

UFOにも興味が強く、「日本宇宙旅行協会」という団体に入会していた[16][14]。同会には、田中友幸森岩雄、本多、円谷といった面々を、土屋が会費を払って無断で入会させていた[14]。昭和30年代中頃に銀座の百貨店ビル屋上で行われた、この協会主催のUFO召喚の集いに参加したこともある。この集いには、三島由紀夫石原慎太郎らの姿もあったという[16][14]。映画『地球防衛軍』では、同協会による地球外の不動産売買を批判するセリフをアドリブで入れている[18]

UFOの目撃回数が多いことでも知られる[5]。最初に目撃したのは小学3年生のころで、飛行機とも飛行船とも異なる金属製の銀色のはしごのようなものが空に浮いていたという[10]。後年、雑誌『S-Fマガジン』編集長でUFO研究家でもあった南山宏にこの話をしたところ、土屋と同年代のSF作家も同じころに同じようなものを目撃していた[10]。中学時代には大菩薩峠で高速移動する飛行物体を目撃した[10]。当時はUFOなどの概念はなかったため、周囲の人々は人魂だと認識していたという[10]。その後、海外でUFOの目撃談が話題となり、自身が目撃したものと同じだと認識するようになり、ジョージ・アダムスキーの著書を読んで強く興味を抱くようになった[10]。1980年ごろには、UFOに対して航空自衛隊とみられるファントムスクランブルをかけるところも目撃したと語っている[19]。土屋は、UFOが出そうな時は直感でわかったといい、同好の士である横尾忠則からは「(土屋は)一瞬で無我の境地に入り込める」と評されていた[19]。土屋自身は、目撃回数が多い理由について、好奇心が強く空を見る回数が他人よりも多いからではないかと語っている[19]

一方で、宇宙人との遭遇談には懐疑的な見解を示しており、土屋に体験談を語りに来る者も多いが、そういった人物は宗教的な思い込みを持っていることも多く、極力会わないようにしたと述べている[19]

SF映画を愛好しており、その原点は小学生の時に観た『キング・コング』であった[10]。そのほかに、好きな映画として『地球の静止する日』や『未知との遭遇』などを挙げている[19]。一方で、『スター・ウォーズ』はメルヘンだとして好んでおらず、『2001年宇宙の旅』や『禁断の惑星』などの難解な作品も苦手としている[19]

フラメンコギターにまつわるエピソードでは、スペインに単独で旅行した際、とある小村にてギターの調べに吸い寄せられて訪れた宴たけなわの民家で、演奏に参加して歓迎されるまま数日間投宿したが、あとで人に聞いたところ、その家は盗賊の一族だったという。海外旅行の経験を豊富に持つうえに語学にも堪能で、日仏合作テレビドラマ『スパイ』(1966年)に出演した際には、フランス側の監督から「本当のフランス人のよう」と絶賛された。
黒澤作品関連

映画『
七人の侍』のオーディションのため黒澤明監督が俳優座に来ることを聞き、オーディションに応募するためパチンコなどをして時間を潰し待っていたところ、トイレで初めて黒澤に出会う[9][12]。待機養成所卒業式の当日には黒澤に呼ばれてテストを受け、『七人の侍』の利吉役に起用される[12]。『七人の侍』撮影中は黒澤の家に下宿しながら撮影所に通ったが、撮影中に火の粉を吸い込んで肺に火傷を負った。

『七人の侍』のクランク・インに入ろうとしていた矢先に、土屋が勝手に山に行こうとしたため、それを知った監督の黒澤は「勝手な事をされては困る!!」と慌てて、土屋を自分の家に寝泊りさせたとの事である[16]。当時の土屋は、登山を第一としており、俳優は趣味であったと述べている[12]

『赤ひげ』では、役作りのために減食して4、5キログラムほど体重を落としていたが、撮影の長期化に伴い空腹に耐えられなくなり、三船に相談したところ「隠れて食べればいい」と助言された[10]


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