『土佐勤王党同志姓名附』によると、深尾鼎から深尾丹波までの5名は土佐藩家老格で、上士勤王派に属する。深尾丹波は、武市瑞山の上士昇格に積極的に加わり、のちに勤王党の獄で処断されそうになった際は、乾退助が身代わりとなって罪を受けた。通俗歴史小説などでは、「勤王党=郷士=長曾我部旧臣」と「佐幕派=上士=山内家直参」のように対立構造で描かれる場合があるが、これらは史実とは異なる(土佐勤王党結成に積極的に貢献した平井善之丞の妻は、板垣退助の父の姉にあたる人物で上士であるし、吉田東洋は長曾我部旧臣の上士である)『同志姓名附』には土佐藩上士も多く含まれている[1][3]。
深尾鼎重先
柴田備後勝守
山内下総(酒井勝作)
五藤内蔵助正身(戊辰東征に従軍、のち土佐藩大参事)
深尾丹波成質(戊辰東征に従軍、土佐藩迅衝隊初代総督)
深尾包五郎[4]
小南五郎右衛門良和
平井善之丞政実(板垣退助の親族)
山川佐一右衛門
柏原内蔵馬
雨森源五右衛門
岡村新作
乾退助正形(板垣退助)
林幸猪
板坂三右衛門(板垣退助の親族)
谷守部干城
武市半平太小楯(瑞山)
嶋村壽之助
本山只一郎茂任(板垣退助の親族)
樋口真吉
血盟者と同志人名(署名盟約順)
武市半平太 小楯
大石弥太郎 元敬
島村衛吉 重険
間崎哲馬 則弘
門田為之助 穀
柳井健次 友政