新聞連載のかたわら、大学を卒業。しとうの世話で広告代理店に就職するも、入社当日の正午、食事に外出したまま会社に戻らず、そのまま辞職。「自分は勤め人にそぐわない性格だと判断した[5]」「食うのにつらくても漫画一本で生きた方がよい[3]」と思ったという。以降専業の漫画家として、児童漫画および大人漫画の連載作品を多数発表する。1961年、寺田ヒロオの紹介で、第2次新漫画党に参加。トキワ荘の漫画家たちと交流を深める[3][6]。
1989年11月に手術のため入院(著書では「肝臓にできたコワイモノの除去」と説明[7])。その後入退院を繰り返す。1992年7月には、長期の入院・加療のため多くの連載を中断・終了する。『ペエスケ』を長期連載していた同年12月17日付の『朝日新聞』[8]等では、「ぎっくり腰の治療」と公表していたが、実際は肝臓の病状の進行であった。当時の園山は見舞客に「肝硬変」あるいは「前癌症状」と説明していたが、交友のあった畑正憲は追悼コメントにおいて、実際の園山の病が肝臓癌であったことを明かしている[9]。
1993年1月20日死去。57歳没。「メソメソシルナ 世の中グワンバレ」という文面の遺書を残したほか、病床でペエスケ、ヒロコ、平太、ガタピシなど『ペエスケ』の主要キャラクターをひとりひとり描いて別れを告げたという[要出典]。翌1月21日付の『朝日新聞』朝刊には、園山が死の直前に書いた動物の絵と、東海林さだおの追悼文からなる特集が1ページ半にわたり掲載された。
受賞歴
1976年 第22回文藝春秋漫画賞(『ギャートルズ』等)
1977年 第6回日本漫画家協会賞特別賞(『がんばれゴンベ』)
1993年 勲四等瑞宝章 ※没後受章
作風・人物
小学館『デジタル大辞泉』においては、「飄々としたタッチでほのぼのとした日常を描く」と評されている[10]。東海林さだおは「白い画用紙のまん中に、スーッと一本、鉛筆で横に線を引くと、すでにそれは大平原と空を分かつ地平線なのであった」「それが園山さんの代表作『ギャートルズ』なのだった」と園山のシンプルな描線による画風を評した[11]。
ユーモラスな擬音を多く用いている。しっかりと握って離さない状況を示す「シッカ」など。
メスのカエルに乳房を描くなど、動物に対する強い擬人化表現が見られる。
愛称は「おんちょ」。音痴であったことから[12]。
趣味は麻雀。アニメ版の「はじめ人間ギャートルズ」でも父ちゃんが4人で麻雀をする描写を入れたくらいだった(第23回「クルクルマワルラーの巻」)。
1982年に日本自然保護協会の理事に就任。宍道湖の淡水化計画に反対する活動を行った[13]。
主な作品
漫画
がんばれゴンベ(1958年 - 1992年、毎日小学生新聞)
通算連載回数は9775回。1980年に東京12チャンネルでテレビアニメ化。
ギャートルズシリーズ
ギャートルズ、新ギャートルズ(1965年 - 1975年、漫画サンデー)
はじめ人間ゴン(1966年 - 1968年、科学と学習)
はじめ人間ギャートルズ(小学館の学習雑誌)
くたばれギャートルズ(1980年 - 1984年、ビッグコミックオリジナル)
2度テレビアニメ化されている。1974年の『はじめ人間ギャートルズ』(朝日放送制作・TBS系→NET系)および、1996年の『はじめ人間ゴン』(NHK教育)。ただし『はじめ人間ゴン』については、同時期に篠田ひでおが『4年の学習』で連載していた同名のリメイク作品が直接の原作。
気になるあの人(1968年 - 1980年、女性セブン)
花の係長(1969年 - 1982年、週刊ポスト)
1976年に毎日放送制作・TBS系でテレビアニメ化。