山地の斜面をスプーンでえぐったような地形であり、高山の山稜直下などに見られる。氷河が成長と共に山肌を削り、上からみると半円状ないし馬蹄形状の谷となる。成長期には形状を推し量ることはできないが、氷河の後退と共に地上に現れ谷となる。
谷の両側と山頂側が急峻なカール壁に囲まれ、それらの急崖に囲まれた底には平坦な(ときには逆傾斜した)カール底が広がる。カール底には氷河によって運ばれた土砂が堆積したモレーン(堆石)が認められることが多く、またカール湖という湖ができている場合がある。
日本で最初に発見され学術的に記載された圏谷は、帝国大学教授の山崎直方により発見された立山連峰の山崎カールであるとされている。以後、多くの圏谷を含む氷河地形が国内で発見・調査され、それらは日本の後期更新世から完新世における古環境研究に大きな[要出典]寄与をもたらしている。 日本国内では、日本アルプスおよび日高山脈などで圏谷が現存している[3]。カール底にあるモレーンや堆積物を対象にして氷河が発達・衰退した年代の推定が行われている。立山連峰に現存する氷河の規模はいずれも1km内外であり、また氷河が現在よりも発達した最終氷期においても、規模は大きいものでもせいぜい10kmで、数百m程度の小規模なものも多く、それほど大規模の氷河はなかったとされる。
日本の圏谷
日高山脈
幌尻岳 七ッ沼カール