國民の創生
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撮影だけでも長い期間がかかったが、編集作業も6週間余りの時間を費やした。

専用の映画音楽も作曲されており、フランス映画ではすでに楽譜の提供という形で行われていたが、グリフィスはその効果を意識し、あえてオーケストラ用の伴奏音楽を作曲させ、大規模に活用している。その音楽はジョセフ・カール・ブレイル(英語版)が担当し、リヒャルト・ワーグナーの「ワルキューレの騎行」などの曲が使われた。

史実の追求は(あくまでグリフィスの目線からの『史実』との限定はされるものの)徹底しており、事実の調査は細かく行い、多くの文献を参考にした。リンカーン暗殺のシーンの撮影では、グリフィスは暗殺当日の演目であった『われらのアメリカのいとこ(英語版)』という作品の台本を探し出し、暗殺の瞬間の舞台上でのせりふまで再現したという。ちなみにリンカーンが暗殺されるフォード劇場のセットは屋外に作られた。ほかにも衣裳にも凝りに凝り、軍服は当時のものを忠実に再現した。

南北戦争の場面では実際の戦場と似たような場所で撮影され、人のいない戦場場面を隠すために発煙弾が過剰に使われた。

製作にはラオール・ウォルシュW・S・ヴァン・ダイクエリッヒ・フォン・シュトロハイムドナルド・クリスプジョン・フォードなど、後に映画監督として大活躍する人たちが助監督やエキストラとして参加している。
スタッフ


作品で編集・助監督として参加し、リンカーンの暗殺者役で出演もしているラオール・ウォルシュ作品で助監督を務め、ユリシーズ・グラント役で出演しているドナルド・クリスプ


原作:トーマス・ディクスン 『The Clansman』

監督:D・W・グリフィス

脚本:D・W・グリフィス、F・E・ウッズ、トーマス・ディクスン

撮影:G・W・ビッツァー

衣装:ロバート・ゴールドスタイン

伴奏音楽編曲:ジョセフ・カール・ブレイル

編集:D・W・グリフィス、ジョセフ・ヘナベリー、ジェームズ・スミス、ローズ・スミス、ラオール・ウォルシュ

助監督:ジャック・コンウェイラオール・ウォルシュエリッヒ・フォン・シュトロハイムW・S・ヴァン・ダイクエルマー・クリフトンドナルド・クリスプアラン・ドワンジョージ・シーグマン、ヘンリー・B・ウォルソール、トム・ウィルソン

公開

1915年2月8日ロサンゼルスで小説と同じ『The Clansman』の題名で作品を公開させていたが、その1か月後の3月3日には『The Birth of a Nation』へ改題され、ニューヨークのリバティ劇場にてオーケストラの伴奏付きで公開された。入場料は当時としては高額の2ドルだったが、作品は大ヒットして44週間にわたり続映された。当時の記録によると、完成後2年間で2500万人が見たという。さらに興業収入は全世界で1000万ドル以上を記録し、アメリカだけでも300万ドルを記録したため、物価上昇率も考慮するとアメリカ映画最大の大ヒット映画となった。

本作はホワイトハウスで上映された史上初の映画であり、当時の大統領ウッドロウ・ウィルソンが鑑賞した。

日本公開は1924年で、公開時のタイトルは『国民の創生』であった。現在の一般的な『國民の創生』の表記は、1990年代に同タイトルで発売されたビデオにおいて用いられた表記が一般化したもので、封切当時のパンフレットや1992年ごろまでに出版された書籍においては、すべて『国民の創生』との表記が用いられている。

1921年1927年には、政治的な観点から短縮ヴァージョンが作られた。1931年にはグリフィスによる監修のもとで再編集と短縮が行われ、オーケストラの音楽や効果音を同調させたサウンド版も作成されている。ビデオ化製品にはより短縮された125分版も存在するが、現在は無削除の190分版のDVDもアメリカで販売されている。
評価

ランキング

「映画史上最高の作品ベストテン」(
英国映画協会『Sight & Sound』誌発表)

1952年:「映画批評家が選ぶベストテン」第24位

1992年:「映画批評家が選ぶベストテン」第61位


1998年:「アメリカ映画ベスト100」(AFI発表)第44位

2000年:「20世紀の映画リスト」(米『ヴィレッジ・ヴォイス』紙発表)第14位

2010年:「エッセンシャル100」(トロント国際映画祭発表)第81位

人種差別問題黒人が白人を攻撃するシーン。この作品では黒人は暴力的な人種として描かれ、逆にKKKは英雄として描かれている。

本作は大ヒットすると同時に、人種差別的であるという非難を多く浴びた。この作品では南部の白人の視点で物語られており、後半の南部再編の物語では、現存する人種差別組織クー・クラックス・クランが英雄的に、黒人を悪役として描いている。そのため「南部再編と秩序回復にはKKKの存在が必要不可欠だった」との誤解を与えかねない点で大きな問題があり、上映に際しては反人種差別団体「全米黒人地位向上協会(NAACP)」などが歴史の改竄と人種差別についての観点から、猛抗議と上映禁止運動をさかんに行った。ロサンゼルスでは警察の保護のもとで上映が行われ、シカゴなどの都市では上映が禁止された。そのためこの作品は「アメリカ映画最大の恥」といわれた。後に大統領になったロナルド・レーガンの父は、毎週土曜日、子供たちを映画に連れていったが、人種差別を嫌ったため、子供であるレーガンに、この映画を見せなかったと伝えられる(「レーガン」中公新書)。黒塗りの白人俳優ウォルター・ロングが黒人のガスを演じた

1952年ボルティモアで本作のフィルムが焼かれるという抗議行動が行われている。現在でも、本作品の持つ映画史上の意義をはるかに凌駕する差別助長的内容から、積極的な上映は忌避されている。

また、当時のハリウッドには黒人俳優がほとんどおらず、いても差別によって出演が制限されており、白人俳優が顔を黒く塗って愚か者の黒人を演じる(ミンストレル・ショーの流れを汲んでいる)など[1]、全編を通じて人種差別的であるとの批判を公開当時から強く受けている。

上述の、1931年に公開されたサウンド版では、差別的とされるシーンがカットされたが、エルジー役の白人女優リリアン・ギッシュは自伝の中で「結果として、各シーンが脈絡の無いものになった」と酷評している。
映画技法の特徴

現在まで、この映画が語り継がれているのは、主にこの映画の画期的な技術面からである。グリフィスは映画芸術の基礎を築いた人物として映画史に記録されているが、バイオグラフ社時代の短編作品から試みていたカメラの使い方、各画面の迫力、各種の動的な効果、観衆に訴える的確な編集法などを、この作品で一気に開花しているのである。

第1に、編集の素晴らしさである。当時のそれまでの映画はワンシーンワンカットという、たとえて言えば、舞台上での俳優の動きをカメラ側はひたすら動かず固定する手法で撮られていたのである。この作品では一つのシーンを複数のショットで撮ることで、画面内での動きが実に多彩であるばかりでなく、各画面をとてもよく考えて、それらを計算して繋ぐことによって、映画上で絶えずストーリーが流れていることに成功している。

モンタージュにも工夫を凝らしており、並行モンタージュとも呼ばれるクロスカッティングを駆使していることが一つの特徴であり、黒人たちに襲われる白人たちと救出に向かうKKKのシーンなどでこの技法が用いられ、緊迫感を生み出している。ほかにも複数のショットを総合的に組み立てて全体の出来事を見せるという技法を使って、ストーリーの時間の連続性を保てるだけでなく、迫力やエモーショナルな効果、サスペンス効果を盛り上げることにも成功している。ポイントオブビューによる主観の切り替え

第2に、多くの映画技術を使用して表現したことである。上記のクロスカッティング以外にもカットバックフラッシュバック(物語の現在より過去に起きたシーンを挿入すること)、クローズアップパン(カメラを左右に動かすこと)、移動撮影などがグリフィスが本格的に使った技法で、これらの技法を使いこなしてシーンを構成し視覚的効果を上げている。効果的に用いている。

第3にショットの距離である。1シーンをロングショットワイドショット、標準、バストショット、クローズアップなどのそれぞれ距離の違うショットに分解して、しかもそのショットの長さも変化させ、これを組み立てることによって迫力のあるシーンを編集できたのである。中にはロングショットと極端なクローズアップを交互に繋ぎ合わせる場面も見られる。

また、当時のフィルムはオルソクロマティック・フィルムといい、階調度は低いが近景から遠景までピントを合わせることができた(*これはフィルムの特性ではなく広角レンズを絞り込んで使ったパン・フォーカスと呼べるようなもの)ので、これらの様々な撮影技法にはうってつけであった。


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