また、1890年(明治23年)7月に皇典講究所初代所長の山田顕義が公表した「國學院設立趣意書[9]」には、国史・国文・国法を中心に学び、海外百科の学問も網羅兼修することが述べられている[10]。
スローガンなど
もっと日本を。もっと世界へ。 - 2012年(平成24年)の創立130周年記念に合わせて制定[11]。
『國學院ブランド』:「創造と伝統」「国際性と地域性」「共生と個性」の三つの慮い
「おもい」に「慮」の字を用いるのは、神道精神に基づいて「相手の立場を慮りつつ自己主張を行い、協調を図る」の意味を込めているもの[7]。 國學院大學には神社本庁の神職の資格が取れる神職課程がある。大学でこの資格を取得できるのは國學院大學と皇學館大学のみである[13]。また、専門学校令以降、教員輩出率が教育大学を除く他大学に比べると高い傾向にある[14]。 皇典講究所をルーツに持つ経歴もあり、日本文化に関連する特色ある行事が行われる。 1月には渋谷キャンパスで奈良・平安時代の神式の成人式を再現した「成人加冠式」が行われ、男子が冠、女子が釵子と呼ばれる装飾具を頭部に着し、学内の神殿に奉告する[15][16]。 7月の七夕には「和装DAY」が開催され、当日は浴衣で授業を受講できるほか、学内に竹が飾られ学生が短冊を掛ける。 10月には供物を献じて十五夜の満月を鑑賞する中秋観月に由来する「観月祭」が行われる[17]。 渋谷キャンパスとたまプラーザキャンパスにそれぞれ図書館があり、神道・国史を中心に約160万点の資料を収容し、國學院大學本源氏物語を初め貴重な資料も所蔵している。 (沿革節の主要な出典は公式サイト[18]) 1882年(明治15年)に明治政府は日本の古典、礼式を研究し国家に必要な人材を育てる国学研究機関を組織化するために東京に設けた皇典講究所が、1890年(明治23年)に国学を講究して、日本民族の国家観念を湧出する施設として開設した國學院を起源としている。1920年(大正9年)の大学令により旧制大学に昇格し、1948年(昭和23年)現行の新学制によって新制大学となった。皇典講究所初代総裁の有栖川宮幟仁親王。
『國學院ビジョン』:標(人文・社会科学系の「標」となる)、大人(主体性を持ち、自立した「大人」の育成)[12]
教育および研究
学風および特色
沿革
略歴
年表
明治
1882年(明治15年)- 有栖川宮幟仁親王、皇典講究所初代総裁に就任。校地を東京府麹町区飯田町(現・東京都千代田区飯田橋)に定め、皇典講究所が開黌。
東京都千代田区飯田橋の東京区政会館前にある皇典講究所發祥記念碑。國學院大學と日本大学が1985年(昭和60年)に設置。「國學院大學 開校の地」の碑
1887年(明治20年)- 皇典講究所第1回卒業式。同窓生の会「水穂会」発足。これをもって國學院大學院友会創始とする。
1888年(明治21年)- 皇典講究所に補充中学校(東京都立戸山高等学校の前身)を設立。
1889年(明治22年)- 山田顕義、皇典講究所初代所長に就任。 皇典講究所内に日本法律学校(日本大学の前身)を設立
1890年(明治23年)- 皇典講究所に教育機関として國學院を設置。
國學院初代院長の
高崎正風。
1894年(明治27年)- 『國學院雑誌』発刊
1898年(明治31年)- 皇典講究所が財団法人として認可される。
1900年(明治33年)- 神職講習会を開設[19]。
1904年(明治37年)- 4月、専門学校令により専門学校に昇格、私立國學院となる。大学部を設置(大学部予科2年・本科3年)[19]。
1906年(明治39年)- 6月、文部省告示により私立國學院大學に改称[19]。
1909年(明治42年)- 神職講習会を改め、神職養成部(神職教習科・神職講習科・祭式講習科)を開設[19]。
大正
1917年(大正6年)- 日本基督教会が「神社に関する決議
1918年(大正7年)- 今泉定助が皇典講究所の理事に就任し、学生数の増加から大規模な学園拡充計画が始動[19]。
1919年(大正8年)- 國學院大學に改称。
1920年(大正9年)- 大学令による旧制大学に昇格する。文学部を設置。
明治、日本、中央、法政、國學院、同志社6校の昇格決定を報じる『東京朝日新聞』(1920年4月2日付朝刊3面)『官報』文部省告示第269号「財團法人皇典講究所ニ於テ大學令ニ依リ國學院大學ヲ設立スルノ件大正九年四月十五日認可セリ」(1920年4月16日付)
1923年(大正12年)
5月 - 渋谷「氷川裏御料地」に移転(のちの渋谷若木町、常磐松町界隈)。
6月 - 新校舎で授業を開始。
9月 - 関東大震災に被災[19]。
1923年(大正12年)5月、
渋谷氷川裏御料地に移転した國學院大學。
1924年(大正13年)- 関東大震災による被災から復旧。國學院大學校歌・校旗を定める。
昭和
1927年(昭和2年)- 図書館が開館[19]。専門学校令により附属神職部を設置。高等師範部を4年制として一部・二部に分置。
1929年(昭和4年)- 神職部を神道部に改称。
1930年(昭和5年)- 神殿鎮座。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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