國士無双
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評価

本作を配給した日活では、同年の正月映画は、前年12月31日封切、片岡千恵蔵主演の『水野十郎左衛門』(監督清瀬英次郎、製作片岡千恵蔵プロダクション)と、日活京都撮影所のスター大河内伝次郎主演の『御誂次郎吉格子』(監督伊藤大輔)であり、正月第2弾は同年1月7日公開、沢田清主演の『討入以前』(監督辻吉郎)であった[21][22]。正月第3弾が同月14日封切の本作であり、通常1週で終了のところ、日活のメイン館である浅草公園六区富士館では、2週ぶち抜きで興行され、正月第4弾が飛ばされて、次の現代劇作品2本立てが同月29日公開に延期された[22]。本作の興行的ヒットと批評界における高評価は、剣戟スターとしての片岡千恵蔵、および彼の製作会社である片岡千恵蔵プロダクションのその後の作品傾向を、「明るい時代劇」に方向づけることになった[23]。本作において、徹底的に虚仮にされる本物の伊勢伊勢守を演じた高勢実乗は、本作をもって「道化演技」を確立し、デビュー以来の憎々しい敵役から、三枚目俳優への転身を図る転機となった[24][25]

公開当時を知る辻久一(野上徹夫)は、本作に代表される作風から伊丹を「考へる映画作家」と評し、北川冬彦は同様に、従来韻文的だったとする映画に初めて散文を持ち込んだ「散文作家」と評した[26]筈見恒夫は、『映画五十年史』において、1920年代後半の左翼的な傾向映画以降の作品として本作を位置づけ、「肩ひじ張つて絶叫したところで、どうにもなるような世の中ではなかつた。そういう時勢を見透した聰明な知識人である伊丹は」「逆説と皮肉のうちに世の中の眞實に触れようとした。洒落のめし、笑いのめした対象の中には、苦い後あじがある」とし、「それが伊丹の本体である」と論評した[27]。北川冬彦は、本作について「この世に何物も正しいものはない、また正しくないものもない」という伊丹の人生観を思う存分述べた作品としている[28]

市川崑は本作の公開当時、旧制中学校の生徒であったが、本作を観て感銘を受け、映画に志を立てたという[24]。土屋好生によれば、伊丹万作は市川崑にとって好きな監督であり、とりわけ本作については『天晴れ一番手柄 青春銭形平次』等において明白な影響がみられるという[29]加藤泰は、本作公開の約1か月前、1931年(昭和6年)12月18日に公開された小林正原作・脚本、内田吐夢監督の『仇討選手』を「時代劇の傑作喜劇二本」と評している[30]森一生は、好きな映画として本作を挙げ、伊丹を師と仰いでおり、山田宏一は森の初期作からは影響がうかがえるとして、森を「伊丹万作の後継者と言える」と評した[31]。片岡千恵蔵プロダクションで助監督を経験した毛利正樹は、『赤西蠣太』で伊丹のセカンド助監督を務め、伊丹に師事し、本作の影響も受けたという[32]

同作の上映用プリントは長らく散逸しており、「幻の名作」であり「フィルムは現存しない」とされていた[6]。見ることのできない映画であるという現実を超えて、日本映画の歴史上の傑作として評価は高く、公開後60年近くが経過した1989年(平成元年)に発行された『大アンケートによる日本映画ベスト150』にもランクインしている[33]佐藤忠男は、リアルタイムで見ることができず、断片を観たのみではあるが、「この断片からしても、おそらくはチャップリンに匹敵する才気煥発の諷刺とペーソスをもったスラップスティック・コメディの逸品であって、これがサイレント時代の日本の時代もの喜劇映画の代表作として映画史に記されていることもうなずける」と記す[7]冨士田元彦は、本作に観られる特徴として、「俳諧的抒簡潔」「文の省略法」「時代劇の内面化」「意表をつくユーモアとウィット」を指摘している[34]蓮實重彦にあっては伊丹の評価は低く、現存する他作品や本作の復元版断片を観ても「まったく演出のできない、いいショットのひとつもない人」と評した[35]
発掘・復元

公開後60年が過ぎた1990年代に、本作の公開当時に家庭用として普及されたパテベビー用の9.5mmフィルムによる21分尺の短縮編集版の存在がわかり、映画批評家の山根貞男の協力により、大阪のプラネット映画資料図書館がこれを35mmフィルムに復元、1996年(平成8年)に行なわれた第9回東京国際映画祭の「ニッポン・シネマ・クラシック」部門で上映された[36]。この35mmフィルムによる復元版プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターにも所蔵されて1999年(平成11年)に同センターで上映されている[2][37][38]。発掘されたプリントによれば、瀬川路三郎が演じた浪人甲が「尾羽内烏之亟」(おばね うちからすのじょう)、渥美秀一郎が演じた浪人乙が「伊賀左馬亮」(いか さまのすけ)という役名でそれぞれクレジットされている[2]。同復元版35mmプリントの上映上の問題点は、フィルムスピードが「18fps」である点で、トーキー以降の通常の35mm用映写機は「24fps」であり、速度切替機能のない映写機ではオリジナルスピードでの上映が不可能である点である[36]。そこで名古屋シネマテークでの上映に際し、「18fps」あるいは「24fps」で上映できる16mm用映写機のために16mmフィルムによるプリントも作成された[36]。84分尺のオリジナルに対して、25%の長さに相当する21分尺のこの復元版には、贋者と本物の伊勢伊勢守の対面と最初の試合、本物が敗北して仙人のもとで修行するシーンが含まれている[37]。同復元版は、2001年(平成13年)にイタリアで行われた第20回ポルデノーネ無声映画祭での「日本のサイレント映画」特集でも、同年10月15日に上映されている[39][40]

一方、この短縮版21分が発掘される以前から、マツダ映画社松田春翠(二代目、1925年 - 1987年)のコレクションによる「8分尺」の上映用プリントの断片を所有している[41]。「21分尺」のプラネット/フィルムセンター版と「8分尺」のマツダ版の両方を上映・説明した活動写真弁士片岡一郎の指摘によれば、前者には最初の試合シーンは存在するが、後者には前者に存在しない「贋者」と修行後の「伊勢伊勢守」とのラストの試合シーンが存在するという[42]。このことから、内田吐夢が監督した『』について、東ドイツ(現在のドイツ)の国立映画保存所版93分とロシアのゴスフィルモフォンド版24分をあわせて117分の「最長版」をフィルムセンターが作成した実績[43]、あるいは溝口健二が監督した『瀧の白糸』について、谷天朗寄贈のフィルムセンター版と京都府京都文化博物館所蔵・共和教育映画所蔵版とをあわせて102分の「最長版」をフィルムセンターが作成した実績[37]等もあり、同様の手法による『國士無双』の最長版の実現の重要性を片岡は主張している[42]。1986年(昭和61年)に公開されたリメイク版『国士無双』を監督した保坂延彦によれば、同作の製作を開始するにあたって観た、1982年(昭和57年)ころの時点でのマツダ映画社版は「2分50秒尺」であったという[44]

2013年(平成25年)1月現在、本作のビデオグラムについては、単独では存在しておらず、保坂版リメイク『国士無双』のDVDにプラネット/フィルムセンター版からの部分抜粋で収録されたもの、松田春翠製作・演出によるドキュメンタリー映画『阪妻 - 阪東妻三郎の生涯』のDVDにマツダ映画社版からの部分抜粋で収録されたもののみである[44][45]
リメイク

リメイクに関しては、オリジナルを原作として、リメイク作ごとにそれぞれ異なる脚本家が立っており、細部はそれぞれ微妙に異なっている。リメイク版は劇場用映画であればすべてトーキー、テレビドラマであってもすべて音声が存在し、オリジナル同様のサイレント映画ではなく、セリフ等の創設が必要である。


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