国際連盟
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第二次エチオピア戦争の際、イタリア軍の兵士が赤十字社の医療テントを攻撃していると連盟が非難したとき、ベニート・ムッソリーニは「連盟は雀が叫んでいるときには非常によいが、鷲が喧嘩をしているときにはまったくよくない」と答えている[6]

また、人種的差別撤廃提案が否決されるなど、人種問題の解決を果たすこともできなかった。なお、2回目の提案の際、イギリス・アメリカ・ポーランド・ブラジル・ルーマニアの計5名の委員が反対した。

連盟の本部は1920年から1936年まではスイスジュネーヴのパレ・ウィルソン(英語版)に、1936年からは同じくジュネーヴのパレ・デ・ナシオンに設置されていた[注釈 1]パリ家モーリス・ド・ロチルド(英語版、フランス語版)の屋敷シャトー・ド・プレニー(英語版)も、1920年から1939年まで国際連盟の会場として使用された[7]

1934年9月28日から1935年2月23日までの間は、最多の58か国が加盟していた。連盟は、1920年代にいくつかの成功と初期の失敗を経験したあと、最終的に1930年代の第二次世界大戦の勃発を防ぐことができなかった。アメリカ合衆国は連盟に加盟せず、ソビエト連邦は遅れて加盟したあと、フィンランドへの侵攻後すぐに追放されたことで、連盟の信頼性は低下した[8][9][10][11]ドイツ、日本、イタリア、スペインなどは連盟を脱退した。第二次世界大戦の勃発により、連盟は「将来の世界大戦を防ぐ」という本来の目的を果たせなくなった。

第二次世界大戦終了後、国際連合(国連)が1945年10月24日に設立され、連盟が設立したいくつかの機関や組織は国連が引き継いだ。連盟は1946年4月20日をもって正式に解散した。連盟の存続期間は26年であった。
起源
背景ジュネーヴ条約。もっとも初期に制定された国際法の一つ。

「国家間の平和のための共同体」という概念は、初期にはイマヌエル・カント1795年の著書『永遠平和のために[12] で、国家間の紛争を抑制し、平和を促進するための国家連合体の設立を主張した[13]。カントは平和のための世界共同体の構築を主張したが、それは世界政府という意味ではなく、各国家が自国民を尊重し、外国からの訪問者を同じ理性的な存在として迎え入れる自由な国家であることを宣言することで、世界の平和な社会を促進することを願っていた[14]集団安全保障を推進するための国際協力は、19世紀のナポレオン戦争のあと、ヨーロッパ諸国間の現状を維持し、戦争を回避するために展開されたヨーロッパ協調に端を発している[15][16]。また、この時代には国際法が整備され、ジュネーヴ条約では戦時中の人道的救済に関する法が制定され、1899年と1907年のハーグ条約では戦争のルールと国際紛争の平和的解決が規定された[17][18]。歴史学者のウィリアム・H・ハーボーとロナルド・E・ポワスキー(英語版)が指摘するように、セオドア・ルーズベルトはアメリカ大統領として初めて国際的な連盟の設立を呼びかけた[19][20]。ルーズベルトは、1906年にノーベル賞を受賞した際に、「誠実に平和を願う大国が平和連盟を結成してくれれば、それは素晴らしいことである」と述べている[21][22]

国際連盟の前身である列国議会同盟(IPU)は、1889年に平和運動家のウィリアム・ランダル・クリーマーフレデリック・パシーの提唱により結成された(この組織は、現在も世界各国の立法機関を中心とした国際機関として存続している)。IPUは、国際的な視野に立って設立された。1914年には、加盟24か国の議会議員の3分の1がIPUのメンバーとなっていた。IPUの設立目的は、各国政府が国際的な紛争を平和的手段で解決することを奨励することだった。また、各国政府が国際仲裁のプロセスを改善するための年次会議も開催された。IPUの構造は会長を頂点とした評議会方式であり、これはのちに設立された国際連盟の構造に反映されることになる[23]
初期の提案.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}国際連盟を早くから提唱していたブライス卿国際連盟規約の起草に貢献したヤン・スマッツ

第一次世界大戦が勃発すると、将来の戦争を防ぐための国際的な組織の構想が、イギリスやアメリカを中心に世間の支持を集め始めた。1914年、イギリスの政治学者ゴールズワージー・ロウズ・ディキンソンは、"League of Nations"(国際連盟)という言葉を作り、その組織化のための計画を立案した。ディキンソンはブライス卿とともに、国際的な平和主義者の集まりであるブライス・グループ(英語版)(のちの国際連盟連合(英語版))の設立に主導的な役割を果たした[24]。このグループは、また当時政権を握っていた自由党内の圧力団体として、一般市民の間で着実に影響力を増していった。ディキンソンは1915年に出版したパンフレット "After the War の中で、自分の「平和連盟」は本質的に仲裁と調停のための組織であると書いている。ディキンソンは、20世紀初頭の秘密外交によって戦争が引き起こされたと考えており、パンフレットにも「外交政策の問題が世論に知られ、コントロールされるようになれば、それに比例して戦争の不可能性は増すだろうと私は信じている」と書いた。ブライスグループの提言は、イギリスとアメリカで広く流布され、始まったばかりの国際運動に大きな影響を与えた[25]平和施行同盟(英語版)は、1918年のクリスマスに『ニューヨーク・タイムズ』紙に全面広告を掲載した[26]。平和施行同盟は、「不和の原因を排除し、平和的手段で論争を解決し、全加盟国の潜在的な力を結集して、世界の平和を乱そうとするいかなる国に対しても常在の脅威として、平和を確保すべきである」と決議している[26]

1915年、アメリカでも、ブライス・グループの提案と同様の組織がウィリアム・タフトらによって設立された。この組織は「平和施行同盟(英語版)」と呼ばれ、実質的にはブライス・グループの提案をベースにしたものであった[27]。この組織は、紛争解決には仲裁を利用し、攻撃的な国には制裁を加えることを提唱していた。これらの初期の組織はいずれも、継続的に機能する組織を想定しておらず、国際機関を裁判所に限定するような法治主義的なアプローチを取っていた。例外はイギリスのフェビアン協会で、大国を中心として世界の問題を解決する「評議会」や、さまざまな活動における国際協力を強化するための「常設事務局」の設置を最初に主張した[28]

第一次世界大戦をめぐる外交活動(英語版)の中で、両陣営は長期的な戦争目的を明確にしなければならなかった。連合国のリーダーであるイギリスと中立国のアメリカでは、1916年までに、将来の戦争を防ぐための統一的な国際組織を設計するための長期的な考え方が始まっていた。


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