国際連盟
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マークの上には英語名(League of Nations)、下にはフランス語名(Societe des Nations)が書かれた[49]
機関詳細は「en:Organisation of the League of Nations」、「常設国際司法裁判所」、および「en:List of leaders of the League of Nations」を参照国際連盟の組織図[50]1936年から1946年に解散するまで連盟の本部だったジュネーヴのパレ・デ・ナシオン

連盟の主な構成機関は、総会、理事会、常設事務局だった。また、常設国際司法裁判所国際労働機関という2つの主要組織があった。その他に、いくつかの補助機関や委員会があった[51]。各機関の予算は総会で配分されていた。連盟の運営資金は加盟国が負担していた[52]
主要機関

総会と理事会の関係、およびそれぞれの権限は、明確に定義されていなかった。総会と理事会は、世界の平和に影響を与えるあらゆる問題を、連盟の権限の範囲内で扱うことができた。総会と理事会は、特定の問題や任務をもう一方に委ねることもできた[53]

総会と理事会の議決には、手続事項や新規加盟国の加入などの特定の場合を除き、全会一致が求められていた。この要件は、連盟が構成国の主権を信じていることの反映であった。連盟は口述による解決ではなく、同意形成による解決を求めた。紛争の場合には、紛争当事者の同意は必要なかった[54]
事務局

常設事務局はジュネーヴの連盟本部に設置され、さまざまな分野の専門家で構成され、事務総長が指揮をとっていた[55]。事務局の主な部門には、政治、財政・経済、交通、少数民族と行政(ザールダンツィヒの管理)、職務権限、軍縮、保健、社会(アヘン、女性や子供の人身売買)、知的協力と国際事務局、法律、情報があった。事務局の職員は、理事会や総会の議題を作成したり、会議の報告書を発行したり、その他の日常的な事項を担当しており、事実上、連盟の公務員のような役割を果たしていた。1931年の時点で、事務局には707人の職員がいた[56]
歴代事務総長

代氏名出身国就任年月日退任年月日
1
エリック・ドラモンド
James Eric Drummond イギリス1920年(大正9年)1月10日1933年(昭和8年)6月30日
2ジョセフ・アヴェノル
Joseph Louis Avenol フランス1933年(昭和8年)7月3日1940年(昭和15年)8月31日
3ショーン・レスター
Sean Lester アイルランド1940年(昭和15年)8月31日1946年(昭和21年)4月18日

日本の歴代事務次長

順氏名就任年月日退任年月日
1
新渡戸稲造
1920年(大正9年)1月10日1926年(大正15年)12月6日
2杉村陽太郎
1927年(昭和2年)1月19日1933年(昭和8年)3月27日[57]

総会

総会は、連盟加盟国の代表で構成され、1か国につき3名の代表と1票の投票権が認められていた[58]。総会はジュネーヴで開催され[59]、1920年の第1回会議以降、毎年9月に開催された[58]。総会の特別な機能として、新規加盟国の受け入れ、非常任理事国の定期的な選出、常設法廷の判事の選出、予算の管理などがあった。実際には、総会が連盟の活動の総指揮をとっていた[60]

フランスなどは、総会に出席する代表代理や補佐などを十数人の国会議員で固めた一方、日本はヨーロッパ各国の駐在する大使外交官で固めた。このことについて、当時の新聞は「日本は例により旧式の外交官ばかり連ねた」として批判した[61]
理事会

理事会は、総会の決定を執行する機関として機能していた[62]。理事会は常任理事国と、3年の任期で総会で選出される非常任理事国で構成された。設立当初の常任理事国は4か国(イギリスフランスイタリア日本)、非常任理事国は4か国であり[63]、最初の非常任理事国はベルギーブラジルギリシャスペインだった[64]

理事会の構成は何度か変更された。非常任理事国の数は、1922年9月22日に6か国、1926年9月8日に9か国となった。1926年9月8日ドイツが加盟するとともに5か国目の常任理事国となった[65]。その後、ドイツと日本が連盟を脱退したため、非常任理事国の数が9から11に増やされた。1934年9月18日ソビエト連邦が加盟とともに常任理事国となり、理事国は15か国となった[64]。理事会は平均して年に5回、必要に応じて臨時会合を開いた。1920年から1939年の間に、合計107回の会議が開催された[66]
その他の機関

連盟は、常設国際司法裁判所や、差し迫った国際問題に対処するために設立されたほかのいくつかの機関・委員会を監督していた。連盟が監督していた機関には、以下のものがある[67]

常設国際司法裁判所

常設委任統治委員会

常設軍事諮問委員会

軍縮委員会

委任統治委員会

国際知的協力委員会(英語版)[68] - ユネスコの前身

法律家専門家委員会

ナンセン国際難民事務所、ドイツ難民高等弁務官事務所 → 国際連盟難民高等弁務官事務所 - 国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)の前身

アヘン常設中央委員会 - 国際麻薬統制委員会の前身

難民委員会

奴隷委員会

保健機関 - 世界保健機関(WHO)の前身

経済金融機関

通信運輸機関

社会問題諮問委員会

国際労働機関

婦人児童売買諮問委員会

大使会議

これらの機関のうち、国際労働機関、常設国際司法裁判所(国際司法裁判所として)、保健機構(世界保健機関として再編成[69])の3つは、第二次世界大戦後に国際連合に移管された[70]
常設国際司法裁判所

常設国際司法裁判所は、連盟規約では「理事会が設置案を作成し、加盟国が採択する」と規定されており、連盟規約によって直接設置されたものではない。常設国際司法裁判所の規約は理事会と総会によって制定された。裁判官は理事会と総会で選出され、予算は総会が負担した。裁判所は、関係者が提出したあらゆる国際紛争を審理し、判決を下す機関である。また、理事会や総会から付託された紛争や問題について勧告的な意見を述べることもできる。裁判所は、一定の広範な条件の下で、世界の全ての国に開かれていた[71]
国際労働機関炭鉱での児童労働(1912年ごろ、アメリカ)カメルーンでの児童労働(1919年)


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